消失のとき 3『お前…何してるんだ、そんなところで』 親友が呆れたような顔をして目の前に立っている。 クラウドはゆっくりと顔を上げ、そして微かに笑った。 俺を迎えに来てくれたのか? 願望も込めてそう問うと、親友は実にイヤそうに顔を歪め、 『お前、なに言ってんだよ。まだまだこっちに来るには早いっつうの!』 言いながら、クラウドの額を小突く。 親愛の情がこもったそれに、クラウドはホッとしたようにまた笑った。 『お前って、ほんっとうに大バカ野郎だよな』 なんだよ、それ…。 『こんなことして、貴重な時間を無駄に使いやがって』 あぁ…そうだな。でも…。 諦めた笑みがクラウドの口元に浮かぶ。 その先の台詞をザックスは遮るように『あ〜、もうまったく、このバカ!』と一喝した。 そして…。 『クラウド…最期まで戦え。お前は俺の…』 「生きた証だ…」 ザックスの台詞を引き継ぐように口にすると、クラウドはゆっくり目を開けた。 目を開けてまず飛び込んできたのは、カーテンの隙間から洩れ入る陽の光。 もう随分と高くまで昇っているらしい太陽の刺すような光に思わず目をぎゅっと瞑る。 顔を横に向けてゆっくりと目を開けると、モノトーンな色調の壁と腕に繋がれている点滴が目に映った。 鬱々とした気分になるしかないその光景に、クラウドはゆっくりと身体を起こした。 自分のいる環境に視線をめぐらせると、ため息を1つこぼした。 まだ……死んでない。 それが、クラウドがセブンスヘブンを出て3週間、目を覚まして一番最初に抱く無機質な思いだった…。 あの日。 ティファが店内で若い男に抱きしめられているのを目撃した日。 クラウドは自分の犯し続けた罪を自覚した。 誰よりも大事にしたかった彼女をずっと傷つけ続けていた。 それは、なんの役にも立たない『お荷物』と化した自分を、それでもティファが大切に思ってくれているのかどうか、実感したかったという自分本位な思いでの愚行。 そう自覚したクラウドは、自分がとるべき道はただ1つだと思った。 ティファの前から消えてしまうこと。 これ以上、無様な自分を晒したくなかったことも理由の1つには違いない。 しかし、それ以上にティファを解放してやりたかった。 治る見込みもなく、余命幾ばくもない男の世話をしながら子供たちを養っていく…。 それがどれほどティファの負担になるのか、考えただけでゾッとする。 ならば…、とクラウドは思った。 いっそ、自分の方から離れてしまったら良いのだ。 きっと、3年前のように家出をしただけではティファを解放してやることは出来ない。 いや、それどころか彼女に余計な負担をかけてしまうことになるだろう。 自分が消えてしまった後、ティファが良心の仮借なくあの男と一緒になれるようにしなくてはならない。 そのためには心身ともに解放してやらなくては…。 その方法はたった1つ。 クラウドの方からティファを完全に手放すこと。 「ティファ、俺はもう耐えられない」 朝食後。 子供たちが遊びに行ったのを見計らって切り出したクラウドにティファはキョトン、と首を傾げた。 ふとした瞬間に見せる彼女の無防備な姿をこうして目にすることはもうない。 この無垢な子供のような仕草を見られるのは自分だけだと思っていたのに、もう既にほかの男の目に晒されていたとは…。 そして、これから先、クラウドですら知らないティファの姿を見るのはあの名も知らない男なのだ。 それが…とても悔しい。 悔しくて辛い。 辛くて…とても悲しい。 死ぬことよりも辛くて苦しくて悲しい。 こんなことになるならもっと大切にすれば良かった。 もっと素直に…、照れずに思いを伝えれば良かった。 愛していると、もっと言葉と態度で表せば良かった。 こんなことになるくらいなら! どうしようもない感情と思いがぐちゃぐちゃになってクラウドの中でせめぎ合う。 しかし、それはおくびにも出さない。 生来の無表情・無愛想な性質で良かった…と頭の片隅で安堵する。 そうしてクラウドは彼女を切り捨てるために口を開いた。 不思議そうな顔をして、真っ直ぐ自分を見つめてくるティファに。 なんの疑いも抱いていない顔をして、薄っすら微笑みすら浮かべているようなティファに。 残酷な言葉を吐き出すために口を開く。 「もう…沢山だ」 「俺の顔色を窺いながらビクビクするティファに疲れた」 「遠くない将来、俺は死ぬ。残された時間はとても短くて貴重だ」 「その貴重な時間を無駄にしたくない」 「だから、出て行く」 「さよならだ、ティファ」 あの時のティファの泣き顔、震える叫び声、縋ってくる柔らかな身体の感触をクラウドは死んでも忘れないだろう。 消したくても決して消えない鮮烈な印象を心に刻み込んでクラウドはセブンスヘブンを出た。 そして、そのままクラウドはWROのリーブを頼ってWRO系列の病院へ入院した。 本当は、どこかで野垂れ死にしようと思った。 しかし、かろうじて残っていた理性が冷静な思考を手繰り寄せ、踏み止まらせた。 どこかの荒野か荒波の狭間で自分の死体が万が一発見されたとしたら、ティファや子供たちはどう思うだろう…。 きっと、大切な人を傷つけてまで離れたクラウドよりもうんと辛いはずだ。 そんな思いを味わわせるために家を…、家族の元を離れるのではないのだから。 リーブには死を宣告されたあの入院から退院した時点で打ち明けていた。 入院していたときにシエラ号を駆ってくれたシドは別として他の仲間には話していない。 リーブが一番口が堅いと思ったのと、仲間の中で一番『割り切って』ものを考えられる思考を持っていると思ったからだ。 ユフィ辺りなどは感情を優先させるので絶対にギリギリまで黙っていることに決めていた。 もっとも、ティファがクラウドに内緒でバラしていなければ…の話だったのだが、家族の元を離れたあの日までの間に、ユフィはおろか誰も仲間は訪ねて来なかったので、ティファがクラウドの思いを尊重してくれていたことはもう分かっている。 その心遣いを思うとまたクラウドの胸が刺すように痛んだ。 ドアをノックする音がしてクラウドの思考はセピア色になりかけていたティファから離れた。 そのことにホッとしながら返事をすると、ゆっくりドアが開いてリーブが現れた。 「どうですかクラウドさん、具合の方は?」 穏やかな微笑みすら浮かべていつもと変わらず接してくれるリーブにクラウドの暗い心が少し軽くなる。 「あぁ…悪くない…」 目が覚めてから初めて声を出したせいだろうか…、酷く掠れていてドキッとした。 ここ数日、声が出にくくなっているように感じてしまう。 きっと、気のせいなのだろうが…。 「そうですか?ところで、食事の方をまた残されていたようですけどちゃんと食べないといけませんよ」 「食事…?」 首を傾げ、あぁ…と頷く。 たった今、目が覚めたとリーブは知らない。 随分日が高いので、朝食の時間はとっくに過ぎている。 だがしかし、今日の朝食だけでなくここ数日、クラウドの食事の量は更に減っている。 そのことも含め、リーブは案じてくれているのだが、クラウドはあえてそれを無視した。 「悪い…今起きたんだ」 「ふむ…眠れませんか?」 「いや…」 首を横に振る。 眠れないのではなくその逆。 眠くて眠くて起きているのが最近辛い。 もしかしたらリーブはそのことに勘付いているのかもしれないが、あえてそれ以上体調に関することを追求しようとはしなかった。 口にしたのは別のことだ。 「ティファさんからクラウドさんの居場所を教えて欲しいという連絡がまたありましたよ」 ティファの名前に心臓が跳ねるも、クラウドは目を伏せることで動揺を隠した。 もう動揺するような時期はとっくに過ぎているはずなのに、未だに彼女の名前を耳にしただけでこんなにも心揺れる。 ティファの名前を聞かない日はない。 そして、リーブからその名が出てくるのを実は待っている自分にクラウドは気づいている。 もう自分を誤魔化せるだけのゆとりはクラウドにはなかった。 「一応、お願いされているように教えられないとは言っていますが…」 「そうか、すまない」 「…本当にこのままで良いんですか?」 「あぁ」 会いたい。 本当は、会ってリーブの言うように話をしたい。 いや、それよりも何よりも、あの最低な別れ方をしたことを謝りたい。 あの時言ったことはどれも本心ではなかったと、感謝していたと、愛していると、彼女の柔らかな身体を思い切り抱きしめて告げたい。 しかし、それらの思い全てを押し込めてクラウドはきっぱりそう言い切った。 リーブはため息を吐いた。 隠そうとしないそのため息は、クラウドへの小さな抗議。 リーブはクラウドが入院してから毎日、多忙な時間の合間を縫って訪れてくれている。 そうして、ティファときちんと話をするように説得するのだ。 しかし、クラウドは頑として首を縦に振らなかった。 そんなクラウドにリーブは言葉少なく控えめな説得だけを淡々と行い、そうして仕事に戻っていく。 WROの局長という重責のある身はクラウドに付き合うだけの時間はない。 だからこの日もこれで話は終わりだとクラウドは思っていた。 違ったのは、ため息を吐いたリーブがクラウドに来客がある、と告げたことだった。 「客?」 思わず顔を上げたクラウドに、リーブは小さく頷いた。 そうして、ドア向こうへ向かって声をかける。 現れたその人物にクラウドは目を見開いた。 「……ヴィンセント……」 仲間がもしもこの病室に現れるなら、それはシエラ号の艦長であるシドかマリンの養父であるバレットだと思っていた。 ここに入院しているとティファに絶対知られたくないクラウドの意思を知っているリーブは、絶対にユフィとナナキには教えないと思っていたからこの2人は除外していた。 ユフィとナナキがもしもこの居場所を知ったら即、ティファに教えてしまうこと間違いない。 だが、ヴィンセントは予想していなかった。 なにしろ、この寡黙なガンマンはすぐに音信不通になってしまって中々連絡が取れないのだから…。 ヴィンセントは黙って部屋に入るとそのままゆっくりとした足取りで歩を進めた。 そうして、呆けた顔をしているクラウドを見下ろせる位置まで来ると…。 「なにをしている、こんなところで」 侮蔑のこもった眼差しを投げやった。 仲間になってから一度たりとて向けられたことのないその眼差しに一瞬で頭に血が上る。 カッ!となって眉間にシワが寄ったクラウドに、ヴィンセントは更に口を開いた。 「クラウド、お前はこんなところでグズグズと1人、女々しく何をしているんだ」 「な…女々しいだと!?アンタには関係ないね!」 声が掠れているのは寝起きのせい。 そして、声が震えているのは怒りのせいだ…とクラウドは思おうとした。 しかしヴィンセントは怒りに震えるクラウドを前にしても全くその態度を変えなかった。 むしろ、ますます冷たい眼差しを無遠慮にぶつける。 「お前1人が被害者のつもりか?」 「なにが言いたい」 聞き返しながら、しかしクラウドは分かっていた。 ヴィンセントはティファや子供たちのことを言っている。 きっと、今もティファや子供たちは自分のことを案じてくれているのだろう。 それを嬉しいと心の片隅で感じながらも、それでもクラウドは腹が立った。 誰が好き好んで愛する家族の元から離れる道を選ぶものか! ヴィンセントには全然分かっていない、と思った。 どんな思いでティファを手酷く傷つけ、離れたと思っているのか。 身を引き裂かれるような痛みを味わいながら別れを告げるのに、どれほどの覚悟が必要だったか! それを知りもしないヴィンセントにバカにされる謂(いわ)れなどなかった。 しかし、ヴィンセントはそんなクラウドの心の動きが分かっているかのように無表情に眺めやった。 「1人、英雄気取りか?」 「なに!?」 挑発するような台詞にクラウドは思わずベッドから身を乗り出した。 点滴のチューブが大きく揺れ、薬液が波立つ。 リーブが少し慌てたようにクラウドの肩を押し戻しつつ、ヴィンセントをたしなめた。 しかし、2人とも互いに睨み合いを続け、リーブを無視する形になっている。 「愛する女ではなく己を守る道を選び、自己満足しているようなお前にこそ相応しい言葉だろう」 辛らつな一言にクラウドの残り少ない理性が吹っ飛んだ。 噛み付かんばかりに大きく身を乗り出し、 「お前が言うな!」 バランスを崩しかけてリーブに支えられながら怒鳴りつけた。 「ヴィンセント、それをお前が言うな!お前こそ宝条に目の前でルクレツィアを奪われたんじゃないか!実験体にされたんじゃないか!守れなかったんじゃないか!」 「クラウドさん!!」 「お前が言うなヴィンセント!」 荒れ狂う激情のままに、クラウドは仲間を怒鳴りつけた。 途中、リーブがクラウドを諌めて声を上げたがそれすらクラウドは振り払って怒りに駆られ、吐き出した。 吐き出した後、肩で息をしながら冷たい目を向けてくるヴィンセントを睨みつけた。 しかし、ヴィンセントはどこまでも冷めていた。 静かな侮蔑を込め、クラウドを見下す。 「あぁ、その通りだ。『真正面から向き合うことから逃げた』ことを『見守ること』だと言い訳をした結果、私は愛する人を救えなかった。そんな私の大罪を知っているはずなのに、何故お前は私と同じことをしている?」 クラウドはあまりの衝撃に言葉を失った。 ヴィンセントはクラウドの決意を『逃げ』だと言ってのけたのだ。 魂が引き裂かれるような苦しみ、悲しみ、痛みを伴った決意を『逃げ』だと。 それは、クラウドにとって言葉にしがたい侮辱だった。 怒りのあまり、眩暈がする。 呼吸は乱れ、耳の奥がグワングワン、とやかましい。 必死に押し止めてくるリーブが疎ましい。 この荒れ狂う激情をどうしてくれよう!? だがしかし、どこまでもヴィンセントは凪いだ湖の面(おもて)のようにその表面は静かだった。 「ティファを完全に自由にするためには酷く傷つけるしかなかった…とでも言うつもりか」 「っ!!」 ヴィンセントの言う通りだった。 自分にとって、ティファにしてやれる最後のことだった。 それを、まるで『愚か者の所業』と言わんばかりの口調で口にされても、クラウドは反論出来なかった。 開き直った言葉を口に留守ことすら出来ず、ただ赤いマントの男を悔しさを含んで睨みつける。 ヴィンセントは哂わなかった。 ただ淡々と言葉を続けた。 「確かに、情に厚いティファを完全にお前から切り離すためには彼女を『用なし』と切り捨てるのが一番効果的だな。流石、一番近くでティファを見ていただけはある」 ふいにクラウドは怒り意外の感情を抱いた。 それは…不安だ。 なにか今からとてもイヤなことが起こる…そんな前触れのようなものを感じる。 クラウドの内面の動きなどまるで気にすることなくヴィンセントは言を紡ぐ。 「最初の1週間は大変だった。恐らく、リーブは病に伏しているお前に気遣って話していないだろうが、自ら命を絶ってもおかしくないほど精神状態はボロボロだった」 クラウドはヒュッ!と1つ、鋭く息を吸い込んだ。 予想しなかったとは言わない。 ヴィンセントの言うとおり、ティファは情に厚い女だ。 理不尽に手酷く切り捨てられたとしても、自分のせいでクラウドが出て行った…と己を責め苛むだろうとは思っていた。 だがしかし、彼女には子供たちがいるしウータイのおせっかい娘もいる。 だから、そんな大事にはならない、と信じていた。 いや、それは信じているというよりも、一種の願望に近かったのかもしれない。 「だが、ティファは私やお前と違って人望がある。人の輪がある。だから、少しずつ立ち直ってきていたのだが、3日前にそれがしっかりとした形になった」 その言葉の言い回しにクラウドの眉間にシワが寄った。 「なにが言いたい」 「お前の望みどおりになった…と言っている」 ヴィンセントらしからぬ遠まわしな言い方に苛立ち、次いでクラウドの脳裏を1つの可能性が走りぬけ…消えた。 目を見開き、唇を引き結んだクラウドにヴィンセントは哀れな者を見るかのように目を細め、ゆっくり背を向けた。 「喜べクラウド。ティファはお前以外に支えてくれる者を得た」 あぁ…。 全身の血がザーッと音を立てて引いていく。 クラウドは全身から力が抜け出ていくのを感じた。 リーブがギョッとしながら身体を支えてくれなかったらベッドから落ちていただろうことにすら気づかない。 ヴィンセントが告げたそれは、クラウドが本当に願っていたことだったのに、何故だろう?少しも喜びは湧いてこない。 湧き上がってくるのはただ1つ。 虚無感。 ヴィンセントはドアに向かって歩きながら真っ直ぐ前を向いたまま、もう用件は済んだと言わんばかりに振り返らなかった。 「お前の功績だクラウド」 最後の台詞が虚ろに響き、空虚に転がった…。 |