こんなに小さい人だっただろうか…?
 こんなにも脆く、儚い空気を醸し出す人だったろうか…?

 人はどれほどの感情をその外側の表情や仕草、微笑みで隠していることだろう…。






ただ…アイシテル 3






「ティファ。今日は天気が良いから買い物行きたい!」
「あ、俺も俺も!最近、美味しいパフェのお店が出来たんだってさ!!」

 ティファが退院してから3週間が過ぎようとした日の朝。
 デンゼルとマリンが後片付けにとりかかろうとしたティファにそう言った。
 明るく笑っているその表情の裏にある翳りは、退院直後からは随分薄れている。
 ティファが己の内面をひた隠しに隠した成果が現れているのかもしれないし、純粋に子供達の気持ちが買い物や新しいカフェへ傾いているからかもしれない。
 あるいは、全く記憶の戻る兆しのないまま時を過ごしているティファにとって、気晴らしを…と子供達なりに気を使ってくれているのかもしれない。
 もしかしたら、それら全部の要素が入っているのかも…。

 カウンターの中で、既に洗い物を始めていたシェルクがそっと視線を向けた。
 その後ろで、洗った食器を拭き清めているクラウドも視線を流す。
 振り返らなくとも、ティファには大人組みがティファの反応を細かくチェックしていることに気づいた。
 仮に気づかなかったとしても、無邪気に笑いかけてくれる子供達にブスッとした顔や、悲しいような顔、困った顔など見せられるはずもない。

「そうね、じゃあ買い物してからそのカフェに皆で一緒に行きましょうか」

 文字通り、デンゼルとマリンは飛び上がって喜んだ。
 一連のそのやり取りに、クラウドとシェルクが無言のまま緊張を解いた気配を感じたのは、ティファの勘繰りすぎだろうか…。

「ティファ、俺も今日は休みにする」

 唐突にそう言ったクラウドに、ティファは振り返った。

(ちょっと待って!)

 そう言いたかった。

(大丈夫だから!)

 そう言いたかった。

 だが、ティファがそれらの言葉を舌に乗せるよりも早く、クラウドはさっさと携帯を耳に当てていたし、デンゼルとマリンが声を揃えて、
「「 本当に!?やったー!!」」
 そう大はしゃぎしてしまったことでとうとうその言葉を口にすることはかなわなかった…。
 カウンターの中で、それらを第三者のような顔をして見ていたシェルクの視線に気づき、ティファは咄嗟に顔を背けた。


 見るな!


 そう思った。
 こんなにも醜い自分を見るな!…と。

 クラウドの心遣い。
 子供達の気持ち。
 それらがこの3週間、ティファにとって一度でも心地良い、と感じられたことはない。
 それどころか、こういう気遣いをされることがどれほど苦しいか、言葉では上手く表現出来ない。
 クラウドや子供達の気遣いの一つ一つに神経が逆撫でされる心地がするのだ。
 特にクラウドのしてくれる『心配り』は、ティファの心を酷く責めていた。
 クラウドがあっさり仕事をキャンセルすることも…。
 毎日早い時間に帰宅することも…。
 その全てがもう耐えられない。

 それほどに今の自分は信用されていないのだろうか…。
 そんなに心配されてしまうほど、今の自分は頼りなく見えるのだろうか…。

 そうして、そんなバカな考えにいつの間にか染まりつつある自分に気づき、自責の念に囚われる。

 クラウドや子供達が純粋に自分のことを心配してくれていることくらい分かっている。
 分かっているのに、相反する気持ちが胸の中で渦巻き、時間をおうごとに強くなっていくのを抑えられない。

 なんて勝手なんだろうか…と呆れ、情けなくて仕方ない。

 だが、誰がそんなティファを責められる?
 ティファの時は、『あの日』からほんの数週間ほどで止まっているのだから…。

 あの日。
 クラウドが何も言わずに姿を消してしまった日。

 どれだけ心配しただろう?
 繋がらない電話に、何度歯噛みしただろう…?
 切り替わる留守電に、何度『帰ってきて』『連絡くらい頂戴』『ねぇ…、元気にしてるの…?』と残したことか。
 それらの言葉を口にするのが、どれだけ辛かったか。
 いつしか、『辛い』という感情すら『諦め』に摩り替わり、もうこのままきっと死んでも会えないままだ…と、思ってしまっていた…。
 彼が帰ってきてくれるならなんだって差し出すのに!
 そう強く願ったこともあった。
 だけど…。

「ティファ…調整がついた。片付けが終わったら出かけようか……ティファ?」

 ハッと顔を上げる。
 いつの間にか目の前にまでやってきていたクラウドの澄んだ瞳に、自分が映るくらいにまで近く…。

「あ、ごめん…」

 咄嗟に後ずさって距離をとる。
 そうすることで、デンゼルとマリンがたった今まではしゃいでいたのと打って変わって不安そうな、縋るように見つめているのに気づいた。
 後悔の念が押し寄せる。

「ごめんね、なんかボーっとしちゃった」
「大丈夫なのか…?頭が痛いとか…」
「ううん、なんでもない。ちょっと疲れただけかな」

 本気で心配そうに眉間にしわを寄せ、開いた距離を縮めるように一歩踏み出したクラウドに、ティファは慌てて笑顔を貼り付けた。
 伸ばされたクラウドの手を視界の端に認めながら、彼の手の届かない微妙な距離をとるべく、無意識に足が後退する。
 クラウドの手が止まった。

「大丈夫、大丈夫!ごめんね、じゃあすぐに着替えてお出かけしようか」

 ティファは自分のウソが空回っているのを感じながらも、『明るく元気なティファ』を演じ続けようとした。
 至近距離で見たクラウドの瞳に映っている自分の姿を打ち消すかのように…、必死になって…。
 青い瞳に映っていたのは、間違いなく自分。

 引き攣って…。
 虚勢を張り…。
 儚く…脆く、崩れそうな……女。

 ゾッとした。
 クラウドの目の中にいた自分の姿に悪寒が全身を駆け抜けた。

 信じられない!
 信じたくない!
 クラウドの目の中に見た自分は『偽り』の自分。
 本当の自分はもっと…。
 もっと……?

 不安そうな顔をする家族の姿に耐えられず、ティファはその場を逃げ出すように、
「じゃ、先に用意しちゃうね」
 言い残して2階の寝室へ向かった。

 向かおうとした。


「ティファ、無理する必要はありません」


 絶対に何を言われても足を止めるつもりはなかった。
 こんな風に…、逃げ出すようにしてこの場を去ろうとする自分を、クラウドや子供達がそのまま黙っているはずがない。
 だから、何を言われても絶対に振り返らないし、足を止めない。
 そう強く自身に言い聞かせていたのに…、止まってしまった。

 クラウドと同じ瞳を持つ少女の言葉で。

 ティファは止まった。
 止まったまま、それでもシェルクを見なかった。
 振り返ることだけはしまい、と意地になってもいたし、シェルクがこんなにはっきりと意見を言うとは正直予想外だったから、軽いショック状態だったこともある。

 退院してからのシェルクは、ティファを案じるような表情や一言をポツリと口にすることはあっても、面と向かって話をすることは避けていた。
 それは、今のティファを否定してるように思えてしまい、たいそう心が痛むとと同時に腹が立った。
 ティファに言わせると、シェルクこそが『異種』な存在。
 しかし、クラウドや子供達に『家族』として受け入れられている。
 正直言うと、疎外感を強く感じさせる存在なのだ、シェルクは。
 疎外感を感じるな、という方が無理だろう。
 そんな存在であるシェルクから、まさかこんなにはっきり言われるとは。

 クラウドと子供達が交互にシェルクと自分を見つめている気配を背中で感じる。
 足が縫い付けられたように動いてくれない。
 耳を手でふさぐ、という無様なことも出来ないティファは、そのままシェルクの言葉を聞くしかなかった。


「ティファ。今のあなたが私を受け入れられないことは無理ないと思います。それに、ティファ自身をティファが受け入れられなくて、辛い気持ちを味わっていることもちゃんと知っています」


 誰かが息を止めた。
 デンゼルか…?
 それともマリンだろうか…?
 クラウドは軽く身じろぎしたかもしれないが、それでも彼の呼吸が乱れることはなかった…。
 黙ったままのティファに、シェルクの言葉は続いた。


「ティファ。ティファが辛く思っていることは知っています。だから、これ以上辛く思っていることを隠すのはやめて下さい。私達はもう知っているんですから」


 その言葉で、ティファの中で何かが弾け飛んだ。


「じゃあ、ほっといてよ!!」


 カッと目を見開き、振り返ってシェルクに怒鳴る。
 デンゼルとマリンがビクッと身を竦め、ギュッと目をつむった。
 クラウドは目を見開き、唇を引き結ぶ。
 シェルクは、激昂するティファを真正面から冷めた眼差しで真っ直ぐ見つめ返した。
 その紺碧のティファは瞳を真っ向から睨みつけた。


「分かってる!?知ってる!?じゃあ、ほっといてよ、そっとしといて!私がどんな気持ちでここにいるか知ってるとか言うなら、ほっといてよ!!」


 こんなに苦しい思いをしているのを知っている…、とシェルクは言った。
 なら、何故そっとしておいてくれない?
 静かに時を過ごし、どうしてこんなことになったのかを…。
 そして、これからの自分の人生のことを静かに考えたいのに、何故こんなにも心をかき回す!?

 知ったかぶりなんかするな!!

 ティファの心が血をほとばしらせるのを、クラウドは見た気がした。

 涙こそ流してはいないが、ティファは泣いている。
 もう沢山だ!と、子供のように泣いている。
 シェルクに向かって、記憶を失ってから取り巻いている自身の環境、心境、理不尽な境遇、それら全てに対しての悲鳴をぶつけている。
 それは、クラウドにとって衝撃だった。

 クラウドだってちゃんと気づいていた。
 いや、クラウドの方こそが、シェルクよりももっと強く、ティファの戸惑い、苛立ち、不安、喪失感を感じ取っていた。
 それは、ティファを誰よりも見ていたクラウドだからこそ感じる心の悲鳴。
 だが、今までどうしてやることも出来ないで手をこまねいていた。
 それは、クラウド・ストライフという青年が、信じられないほど口下手で、想像が出来ないほど不器用な人間だから…。

 クラウドは、ティファの記憶が自分が家出をしていた頃にまで遡って止まったことを知った瞬間から、どうやってティファに接するのが一番良いのか、必死になって考えていた。
 仲間達にも相談したし、シェルクとも何度も話し合った。
 その結論が、ティファの『現在の時間』に立って考えることだった…。
 ティファにとって、クラウドは死ぬほど心配かける『厄介な家族』だったはずだ。
 デンゼルやマリンにも当時の話を何度も聞いた。
 実は家に戻ってから子供達はクラウドが家出している間のことをあまり話しはしなかった。
 話して聞かせる必要がない、ということとクラウドへの心遣い。
 正直、クラウドにとって、キツイ話も沢山ある。
 特に、ティファに言い寄る男性客達の話なぞ、タブーだ。
 クラウドが家出していることをネタにして、言い寄ってくる輩がその大半を占めていたからだ。
 だから、クラウドがティファの記憶喪失を知り、どうやってティファに接するのが良いのかを模索する上で当時の話を聞いてきた時、2人は知っていることを洗いざらい話して聞かせた。
 クラウドは苦い思いを噛み締めながら、いかに自分が愛されていたかを再認した。
 同時に、ティファにとって自分が『触れられない距離』にいる存在だと解釈した。
 家出していたのだから、『触れられない』のは当たり前だ。
 だからといって、その距離に戻るわけにはいかない。
 2度も彼女を孤独にしない。
 そのためには…?

『絶対に自分から触れない』

 うっかり手が触れたりしないよう、細心の注意を払って距離を保ちながら、彼女がほんの少しでも『触れること』を許してくれそうなそぶりを見せてくれたら、その時は…。
 その時が来るまで、絶対に自分から触れないよう心に決めたのだ。
 携帯に電話をしても絶対に出ない相手が目の前にいる。
 それだけでもティファの心労は想像出来ないほど強いものになるはずだ…と。
 クラウドにとってもティファに触れられないのは辛かった。
 だが、それがティファのためになるとそう信じながらも、うっかり転倒しそうになったティファを助けようと手を差し出してしまったことがあった…。
 あの時は、シェルクが機敏に動いてくれて本当に助かった。

 だが…。

 ティファにとって、自分がどういった存在かをもっと突き詰めて追及し、接していたらあるいはここまでティファの心の傷は広がっていなかったかもしれない。
 こうして、シェルクに本来クラウドが担わなくてはならない役目を負わせることもなかったかもしれない。
 だが、結果としてクラウドの『気遣い』は空回りで終わり、ティファは自分自身を責め、貶めることをやめられず、こうして爆発した。
 そして今も尚、シェルクを怒鳴りつけることで『シェルクを傷つけている』ことに、自分自身を更に傷つけている…。

 なんて不器用で、悲しくて…。
 優し過ぎる女性(ひと)だろう…。

 記憶喪失という理不尽な境遇に突き落とした相手とはまったく無関係のシェルク。
 記憶を失う直前まで、クラウドや子供達と同じくらいに『家族』として受け入れ、愛していた相手にこうして今、自身の置かれている境遇への不満を八つ当たりしている。
 そのことをティファは十分過ぎるほど自覚して…。
 それでもどうしても止められない感情の波に押されてしまって、歯止めが効かない状態にまで追い詰められている。
 子供達が悲しみと混乱で震えていることもティファは分かっているはずだ。
 それでも止められないという事が一体どういうことなのか、想像するに難くない。
 一方、喚き続けるティファに対し、シェルクは無表情のままだった。
 無表情を保つことで、ティファがやり場のない感情を吐き出しやすいようにしてやっているのだ。

 クラウドは目の奥が熱くなるのを感じた。
 もう…止まらない。

「 !! 」

 思い切り感情のままにティファを抱き締める。
 ティファの悲鳴が止まる。
 茶色の瞳は大きく見開かれ、口は半開きの状態で、肩で荒く息を繰り返している。
 デンゼルとマリンが互いに強く手を握り締めあい、息を呑んで親代わりの2人を見つめた。

「ティファ…」

 ティファは大きく身を震わせた。
 クラウドの声が震えていることに、信じられない思いがした。
 力いっぱい抱き締める彼が、微かに震えている。
 ダイレクトに感じるクラウドの温もりと……涙。
 ティファは、自分の中の荒れ狂う感情がパチン…と弾け、スーッと引いていくのを感じた。

「ティファ……ごめん……ごめん……!」

 息が出来ないほどの抱擁。
 退院してから一度も触れようとしなかったクラウドが、抱き締めてくれている。
 …泣いている。

(…どうして…?)

 ティファは自問した。

(なんで泣いてるの…?)

 あと少しで、自分の都合の良いように考えてしまいそうになる。
 荒れ狂っていた怒りは消え去り、変わりに押し寄せてきたのはクラウドへの想い。
 ずっと…、ずっと。
 抑えて、抑えて…。
 絶対にこれ以上、大きくならないように、蓋をしていた感情が一気に溢れ出そうになる。

(…ダメ)

 自分の感情に素直に押し流されてしまいたい。
 そう本能が言う中、かろうじて残った理性が自制心をフル稼働させる。

(期待なんかしちゃダメ)

(そう…)
(クラウドがこうして抱き締めているのは、デンゼルとマリンをこれ以上怯えないため)
(そうよ、子供達のためなんだから)
(それから、シェルクのため)
(これ以上、理不尽な罵倒を浴びせかけさせないため…)
(クラウドは、私のことを『仲間』『幼馴染』以上には絶対に見てない)
(だから…!)


「ティファ…頼む…。頼むから…一緒に頑張らせてくれないか…?1人で抱え込まなくて…一緒に……」


 最後のほうは、声がかすれてしまって聞き取りにくかった。
 だが、密着した状態のティファの耳にはちゃんと届けられた最後の言葉に、ティファは一際目を見開くと、次いで顔をクシャクシャに歪めた…。

 そうして…。

 退院後、初めてティファは大声で泣いた。


 ―『俺が傍にいるから…』―


 それは、クラウドに捨てられた、と思わざるを得なかったあの『家出』の時、ティファが一番欲しかった言葉だった…。