一寸先は闇。

 だから、現在(いま)を大切に生きることこそが、最も大切なこと。
 生きてさえいれば、失ったものはきっと取り戻せる。
 姿、形を変えてしまったとしても…。


 だから…。






ただ…アイシテル 5






「ちょっとだけ…恥ずかしいな…」
「……俺だって恥ずかしいんだってこと忘れるなよ…」

 呟いたティファに、クラウドはそのまま顔を向けずにそう言った。

 ひとしきり話しをした2人は、ハッと気がついた。
 もうとっくに昼食時を過ぎている。
 それどころか、もう午後のおやつの時間までも過ぎようとしていた。

 あの時。
 ティファが泣きながら崩れるように眠りについてしまった後、クラウドはオロオロと心配する子供達と、それまでは無表情だったのに流石に倒れたティファに動揺するシェルクに、暫く休ませてくると言い残して寝室に向かった。
 まぁ、結局は見てのとおり、一緒になって熟睡してしまったのだ。
 クラウドもティファと一緒で、退院してからこっち、ほとんど眠れない日々を過ごしていたのだから無理もない。
 どう接するのが今のティファにとって一番最善なのか、その日一日をベッドの上で振り返りながら、いつも落胆していた。
 彼女の本心からの微笑みは一度もなかったからだ。
 クラウドや子供達、そしてシェルクに心配かけまいと精一杯の虚勢を張っていた。

 本当にクラウドにとってもこの3週間は試練の時だった。
 だが、ようやく。
 本当にようやく、ティファとの『絆』を取り戻すことが出来た。
 ティファが記憶を失うと共に、それまでに築いた絆も一緒に失っていたのだから。
 悶々と考える日々は本当に辛かった。
 だから、自分にしがみついて泣いてくれるティファがとても嬉しかった。
 ベッドに下ろそうとした時、意識がないはずの彼女の手が、しっかりと自分の服を握り締めてくれていることに歓喜した。
 本当に…本当に嬉しかった。
 そっと彼女をベッドに横たえて、安心したように安らかな表情で眠るティファを、クラウドは貪るように見つめ、至福に酔った。
 そうして…。

 いつの間にか、自分までも寝てしまった。
 時間にしては、もう…寝すぎ!!くらいの時間だ。
 なにしろ6時間も寝てしまったのだから…。
 これにはもう、2人揃って苦笑するしかない。
 そして、クラウドとティファは今、手を繋いで階段をゆっくりと下りている。
 1階にいると思われる子供達とシェルクに、自分達の絆がちゃんと戻ったことを示すために。
 そうするには、こうするのが最もよいだろう、と半ば沸騰した頭でクラウドがそう言った。
 ティファにまで、クラウドの沸騰が伝染した。
 真っ赤になって恥ずかしそうに彼の無骨な手を握った。

 どきどきどきどき。

 早められる鼓動は2人分。
 それは『幸せ』と『期待』と『照れ臭い』という感情がもたらす身体への反応。
 仲間達が見たら…。

 ―『あっま〜〜〜い!!!』―(ユフィ)
 ―『うぅ…良かった…良かったねぇ、2人とも』―(ナナキ)
 ―『俺は信じてたぜ〜!!』―(バレット)
 ―『お〜お〜、熱々バカップル復活だな〜!』―(シド)
 ―『ふっ(軽い笑み)』―(ヴィンセント)
 ―『良かったですね、これで記憶を取り戻す第一歩ですよ』―(リーブ)

 などなどの反応を返してくれるだろう。
 そう想像して、
(皆にとりあえずは落ち着いた…って連絡しないとな…)
 と思ったクラウドは、かなり成長したのではないだろうか。

 2人してどきどきしながら1階に着く。
 子供達やシェルクの反応を想像して、どきどきに拍車がかかる。
 だから、1階に期待していた姿がどこにもないことには肩透かしを食らった気分で2人揃って立ち尽くした。

「「 あれ…? 」」

 声を揃えて顔を見合わせる。
 店内のどこにも人影はない。
 2階の子供部屋か…?
 いや、気配はなかった。
 だとしたら…。

「あ…」

 クラウドが目ざとくテーブルの上に置かれているメモを見つけた。
 そこに残されたメッセージに2人揃って目を丸くする。

 【 デンゼルとマリンと一緒に外食してきます。 】

 たった一言の素っ気無いメモ。
 だが、そのメモを残していったシェルクの沢山込められた想いに2人は頬を緩めた。
 2人の時間をシェルクと子供達が与えてくれたのだ。
 本当は、泣き疲れて眠ってしまったティファの傍に居たかっただろうに、あえて我慢して2人の時間を作ってくれた。
 ティファはモゾモゾと少しだけ居心地悪そうに、
「なんか…本当に気を使わせてばっかり…だね…」
 そう言って困った顔をした。
「そうだな」
「う…」
 クラウドの肯定の言葉にガックリとうな垂れる。
 クックック…と笑いながら、クラウドはそのままティファの手を引いてドアに向かった。
 何をするつもりなのか、と戸惑うティファに、
「ティファは大切な家族だからな。いくらだって心配するさ」
 笑いかけながらクラウドはそのまま外に出た。


 *


 2人はそのまま、手を繋いでエッジの街を散策した。
 2人とも昼食を食べていなかったので空腹だった。
 ちょっと洒落たレストランに入ろうとするクラウドに、ティファは二の足を踏んだ。
 何しろ、金を持っていないし、服装はいつもの黒いジャケット、スパッツ…。
 いくらなんでもなぁ…という感じで恥ずかしがるティファに、
「大丈夫だ、この店、実は裏側がカフェテラス形式になってて気軽に入れる。それに金なら実は持ってるんだな、これが」
 そう言って、ズボンのポケットをポンポンと叩いて見せた。
 ティファの目が丸くなり、次いで嬉しそうに細められるのを、クラウドは内心でガッツポーズをとった。
 無論、表情にも仕草にもそんな素振りは微塵も見せない。
 ただ淡く微笑み返しただけだ。

 入ったレストランでのオープンカフェはたいそう美味しかった。
 空腹だったこともあるし、何よりも重苦しい気持ちから解放されたのだから。

「このパスタ、すっごく美味しい」
「うん、こっちのラザニアもいける」
「あ、一口ちょうだい」
「あぁ、ほら」
「あ、本当だ、美味しい!クラウドも…、はい」
「ん…。うん、ウマいな」
「でしょ?う〜〜ん、ほんっとに美味しいね」
「だな」
「ねね、そっちの魚のムニエルは?」
「あぁ、こっちもウマい。ほら」
「…うん、本当だ。香草が利いてて本当に美味しい。今度お店でも出そうかな」
「ティファは器用だからな」
「そんなことはないけど、褒めてくれてありがと。あ、こっちのお肉のソテーも美味しいよ。食べる?」
「あぁ」
「はい、あーん」
「ん…。うん、本当だな、結構いけるなこの店の料理」
「だね。料金もそんなに高くないし」
「最近この店の近くへの配達が多かったから気になってたんだ。来て正解だったな」
「へぇ、流石情報通だね」
「いや…そんなことはない。それだったらティファの方が情報通だろ?」
「ん〜…まぁそんなことないよ、って言ったらウソになるけど、このお店のことは知らなかったし……って…あ〜…」
「どうした?」
「…ううん、もしかしたら、記憶をなくす前の私は知ってたのかなぁ…って思って…」
「ティファ…」

 クラウドはフォークを置くと、少しだけ困った顔をした。

「焦らなくても良い。それに、もう記憶を取り戻さなくても大丈夫だろ?」

 その一言が心に染みる。

「…ありがとう…」

 照れたように目元を赤らめたクラウドに、ティファが微笑んだ。
 そんなティファにクラウドは安心したように目を細めると、最後の一口となったラザニアをフォークですくい、彼女の口元に持っていった。
 最後の一口なのに気づいて視線だけで躊躇うティファに、
「俺はもういい。この後デザート、くるんだろ?」
「う…そうだけど…。じゃあ、パスタとかえっこってことで」
 クルクルと器用にフォークを動かし、これまた最後の一口となったパスタをクラウドの口元に差し出す。
 クラウドはまさかティファがそう言う風に『とっかえっこ』と言い出すなど思わなかったのだろう。
 目を丸くしてティファの悪戯っぽく笑っている目とフォークを見比べた。

 そして、2人してクスッと笑い、同時にそれぞれのフォークをパクリ。

「「 ごちそうさま 」」

 互いにそう言ってまた笑う。
 ティファは思った。
 記憶を失った自分は、こういう風にクラウドの笑顔を当たり前のようにもらっていたのだろうか…と。
 なんと贅沢なことか。
 そして、そんな大切な記憶をなくしてしまった自分に対してやっぱり情けなくなる。
 だが、心の片隅ではこの突如舞い込んできた境遇を喜んでいる自分もいた。
 何故…?
 それは、たった一つの理由。

 アイシテルから。
 彼を誰よりもアイシテルから。
 その事実を確認出来たから。
 ティファにとって、クラウドは目の前から突如、いなくなってしまった存在。
 大切な人が、自分になにも言わずに出て行った。
 電話をしても絶対に出ない。
 一方通行な関係。
 もしかしたら、自分の気持ちに応えられないから…出て行った?
 なら…。
 捨てられた…?
 そう思ってしまったとしても仕方ない。
 だからこそ、この3週間はどうしても信じられなかった。
 自分をクラウドが思ってくれているのかどうか。
 彼の心配りがどうしても信じられなかった。
 そのせいで、クラウドが毎日出来るだけ一緒に過ごそうとしてくれているのは、記憶を失った自分を信じてくれていないから、などと捻くれて思ってしまった。
 だけど、本当は…。

「ティファ、どうした…?」

 いつの間にかボーっとしてしまったらしい。
 心配そうに見つめるクラウドに、ティファは微笑みながら首を振った。

「なんでもない。ただ…」
「ただ…?」

 ジッと見つめて続きを待つクラウドを見つめ返す。

「幸せだなぁって思って」

 その一言で、クラウドは緊張を解き、頬を緩めた。
 ほんのり頬が赤くなったように見えたのは、ティファの見間違いだろうか…?

それは俺のほうだ…
「ん?」
「いや、なんでもない」

 ボソッと呟いてしまった言葉が恥ずかし過ぎて、クラウドは聞き返すティファにシラを切った。
 訝しがる彼女を相手にするには分が悪すぎる。
 何しろ、クラウドはほんっとうに不器用極まりないからだ。
 だから、丁度助け舟のように運ばれてきたデザートに心底感謝した。

「ほら、こっちの方が重要だろ?」

 そう言って、美味しそうなピンクのジェラートを指す。
 ティファは、「む〜…」と唸ったが、確かにその誘惑に勝てなかったのか、はたまた聞いても無駄だ、と諦めたのか、クラウドを詰問するのを放棄した。
 そして、目の前の芸術に感嘆の溜め息をこぼす。

「すっごい、美味しそう!!」
「…俺には攻略不可能な代物だ」

 パクリ。
 一口口に運んで、「う〜ん、美味しい!」と感動しているティファにクラウドがこぼす。

「そんなことないよ、甘いだけじゃなくてイチゴの風味が効いてて美味しいよ、ほら」
「む…」

 差し出されたスプーン。
 乗っているのは、ピンク色のジェラートと添えられていたイチゴソース。
 クラウドの苦手な分野だ。
 甘いものはティファの手作り以外は受け付けられない。
 何しろ、自分の好みを完璧に把握しているシェフ&パティシエはティファ・ロックハートだけなのだから。
 だが、心底楽しそうにスプーンを差し出す彼女を前にして、無下に断ることなど出来ようはずもない。
 ちょっとだけ抵抗するかのように逡巡し、結局は根負けしてその口元に差し出されたそれをパクリ…と一口。
 途端、広がったのはティファの言うとおり甘いだけじゃなくて酸味の利いたジェラート。

「うん、確かにウマい」
「でしょ?」
「あぁ。だけど…」
「なに?」

 困ったようにテーブルの上へ視線を走らせるクラウドに、ティファは首を傾げた。

「お返しに食べてもらえるものがない…」
「へ…?」

 言われて気づいた。
 クラウドは食後のデザートを頼んでいない。
 頼んだのはブラックコーヒー一杯だけ。
 対してティファは、ジェラートの季節盛り合わせにカプチーノ。
 クラウドの言う『お返し』に、ティファは思わず噴き出した。

「いいよ、そんなこと気にしないで」
「…いや、だけど…」
「じゃあクラウド、チーズケーキセット注文してよ。そしたら半分頂戴」
「…太るぞ」
「むっ。女性に対してその一言は禁句!」
「痛い」

 ゲシッ。

 テーブルの下でクラウドのむこう脛を蹴り上げる。
 痛そうに顔を歪めるクラウドも、蹴ったティファもどこか楽しそうだ。
 そんな2人を、街行く人達が。
 同じレストランにいる客たちが。
 更には、ウエイトレスとウエイターがうっとりと眺めていることなど、全く気づかず、2人は久方ぶりの至福に酔いしれた。


 *


「美味しかったね」
「あぁ、ウマかったな」
「今度は皆で来たいね」
「そうだな」
「……シェルクもちゃんと一緒に…ね」

 最後の一言は、照れ臭そうに俯き加減に言われた。
 クラウドは思わず足を止める。
 数歩分だけティファは歩いて、そっと…、躊躇いがちに振り返った。
 目を見開いているクラウドを見る。
 クラウドはティファを見つめたまま立ち尽くした。

「シェルクも…私の大切な家族…でしょ…?」
「ティファ…」
「私、やっぱり思い出したい。たとえ、この3週間の出来事を忘れてしまっても…」

 きっぱりとそう言い切ったティファは、強い決意の色をその瞳に浮かべていた。
 クラウドの良く知っている意志の強い瞳。
 一瞬、記憶喪失になる前のティファに戻ったかのような錯覚を受ける。
 だが違う。
 そう。
 ティファは強い人だ。
 どんな逆境にあっても、必ずそこから這い上がってくる。
 そうして、自分のことよりも周りの人のことを気にするのだ。

「ティファ…」
「私、無理してないよ」

 クラウドの言葉を先回りして封じる。
 案じるような表情のクラウドに、彼がなにを心配してるのかすぐに察しがついた。
 そのことに喜びを感じる。
 大丈夫。
 自分の根っこは同じままなのだ…と。
 クラウドが大好きなティファなのだ…と。

「だって、記憶をなくしてしまっても、こんなに幸せなんだもん。元に戻ったらもっともっと幸せなんだって思うんだ」
「……」
「本当よ?だから…、そんな顔しないで」
「…ティファ」

 いつの間にかお互いにゆっくりと歩み寄っている…。
 少し手を伸ばせば届く距離。

「ね…、お願い。手伝ってくれる…?」

 何を?とは聞かない。
 記憶を取り戻す手伝いをして欲しいと言っているのだ。
 クラウドは躊躇った。
 ティファにとって、本当にそれが正しいことなのか…と。
 昨日まではティファに記憶を取り戻すことこそが大切だと思っていた。
 それは、ティファが不幸せそのものだったから。
 早くその不幸な境遇から救い出したかった。
 だが、今は?
 今は違う。
 記憶を失っても彼女はこうして立ち直った。
 なくした記憶は確かに大切な宝物で溢れていたかもしれない。
 しかし、こうして今、2人並んで歩いていけることだって充分すぎるほど幸せなんじゃないだろうか?

 暫しの逡巡。

「具体的にはどうしようか…」
「! ありがとう、クラウド」

 白旗を揚げるのにそう長くはかからなかった。
 所詮、自分はティファには敵わない。
 彼女の強い意志は記憶を失ってもその根幹を変えないのだから。
 ならば、彼女の望むままに…。
 ティファが幸せだと思ってくれるように…。

 もう1度手を繋いで歩き出す。
 街行く人達の波に乗るようにして…。