手を伸ばして届くなら…。 手をほんの少し無理をして伸ばして、そのお陰で尊い命が救われるなら…。 伸ばさずにはいられない。 もう二度と、目の前で大切な命を失いたくない。 もう二度と…。 ただ…アイシテル 7暗い底なし沼に引きずり込まれたかのような感触がねっとりと自分を取り巻いている。 どうしてこんなところにいるのか。 ここに来る前にどこにいたのか。 さっぱり分からない。 分からないし…、何も見えないのだから状況把握をしようもない。 自分に出来る事は、じっと蹲って迎えが来てくれることを待つだけ。 そう皆ならきっと。 彼ならきっと、ここにいる自分を見つけてくれる。 自分にそう言い聞かせながらそこでハタ…と気づく。 自分ってなんだっけ? 皆ってなんだっけ? 彼って……なに? 途端、底なし沼が暗闇の中で僅かに見えるその影を大きくくねらせ、自分に向かってなだれ込んで来るのが分かった。 咄嗟に身を翻そうにも、既に足首をしっかりと沼地に取られていて全く動けない。 後ずさることすら許されない。 息をヒュッと吸い込んで、眼前にまで迫ったその恐怖に、甲高い悲鳴が上がった。 * 「…ファ……ティファ!!」 激しく揺さぶられる身体。 必死に呼びかける声。 ティファはカッ!と目を見開いた。 見慣れない天井。 見慣れない風景。 そして…。 見慣れない人達の顔、顔、顔…。 ガバリッ!と身を起こして怯えたように己の身体を抱きしめるティファに、クラウドは抱きしめようとして…。 「……ティファ…?…おい…ウソだろ……?」 カタカタと震えながら、怯えた眼差しで見つめるティファに、クラウドはあまりの衝撃の大きさに全身から血の気を失った。 同じく、子供達とシェルク、シャルアも同様だ。 「姉さん!なんともないって言ったじゃないですか!」 「…脳にはなんにも障害がない…ってことだったんだよ、私が言ったのは」 「でも、ティファ、また記憶がないじゃないですか!!」 「…まさか……こんなことって……」 妹に詰問口調で攻め立てられながら、シャルアも困惑しきりだった。 まさか、二度にわたる記憶喪失。 信じられないほどの不幸。 デンゼルとマリンは、まだ信じられない!と、ティファのベッドに乗りあがるように身を寄せた。 「ねぇ、ティファ、俺のことわかるか?デンゼルだよ」 「マリンだよ、ティファ…、マリンって呼んで…ねぇ……ティファ!」 子供達の顔が見る見るクシャクシャになる。 それでも必死で涙を堪え、ティファに訴える。 だが、ティファはまるで言葉が通じないかのように、身体を抱きしめたまま小さくなってカタカタと震えているだけだ。 クラウドは自分の心が壊れる音を聞いた気がした。 だが…。 ―『ねぇ…私のこと…好き…?』― ここで自分が壊れてどうする…? 子供達はどうなる? 二度も忘れられてしまったシェルクとシャルアはどうする? 自分が諦めてしまったら……!! 「ティファ…、初めまして。俺はクラウドだ」 その場の全員が凍りついたように全ての思考を止めた。 ゆっくりとした歩調で、ゆったりとした口調。 向けられる眼差しはどこまでも優しい慈愛で満ちている。 未だに怯えているティファは、それでもゆっくりと…ゆっくりと近づいてくる青年に、少しだけ顔を向けた。 目の色の怯えが徐々に消えていく。 「ティファ…えっと、そうだな。キミはティファって名前なんだけど、それは覚えてる?」 いつものクラウドからは信じられないくらい優しい口調。 まるで、小さい小さい子供に話すような声音。 ティファはクラウドの紺碧の瞳をジッと見つめた。 黙って…ただジッと。 そっと彼女自身を抱きしめていた腕が解かれ、少しずつクラウドに伸ばされる。 そして…。 「……あったかい…」 抱きしめられたのはクラウドの方。 皆がその光景に胸を熱くさせ、クラウドはよもやこんな展開になるとは思いもしなかったため、暫し硬直していた。 徐々に…徐々に。 ティファの温かさが心に染み渡り、目の奥が熱くなる。 そのまま、真綿で包み込むようにティファを抱きしめた。 * 「ということは、一部の記憶が断片的に残っているってことでしょうか…?」 「うん、そういうこととも言えるし…なんだろうな。脳にかなりストレスがかかったみたいだし、それが記憶喪失状態なるティファさんの症状を悪化させた…と考えられないことはないな」 「それにしても、先ほどの検査でそんなにストレスの数値、高かったですか?」 「いや、そんなに気をつけないといけないほどじゃない。恐らく、今日の事故現場での彼女の行動の理由が原因で、こっちに運ばれた状態ではある程度落ち着いたんだろ」 スラスラと応えるシャルアを、リーブは初めて苦々しく思った。 まったくこの姉妹はなんと言うか…。 感情表現が下手だ、下手すぎ! 滅茶苦茶心配してるくせに、それを隠して頑張ろうとするとは!! グルグルとリーブの頭の中が堂々巡り状態なってるのをよそに、シャルアはクスッと笑った。 袋小路から顔を上げたようジトーッとした目でシャルアを見る。 シャルアは笑った。 「だってさ、自分のことは分かってないのに、クラウドさんのことは『本能』で分かったんだぞ?これってやっぱり愛の力…ってとこなのかな?」 「あ……なるほど」 リーブは悶々と考えていた悩みをスポーンと頭から追い出す。 そして、先ほどとは打って変わってウキウキした足取りでその部屋を後にした。 勿論、行き先はクラウドのところだ。 そんな局長の背中を、シャルアは苦笑しながら、 「ま、あの人のああいうところは局長らしからぬものだけど、それでもやっぱり…あれがリーブ・トゥエスティってとこなのかな?」 「そうですね、きっとだからWRO隊員の皆さんはあの人についていこう、と思うんですよ」 「あぁ、そうだな」 クスクスクス。 嬉しそうな忍び笑いは廊下に漏れることはなかった。 * クラウドは先ほどのシェルクとシャルアのやり取りを、ティファのベッドの傍らで聞いた。 子供達はそれぞれクラウドの両脇を陣取り、しっか、と彼の腕にしがみ付いている。 クラウドまでどこかに行ってしまわないように!ともとれるその姿は、見ていて胸が痛む。 だが、リーブの話しを聞いているうちに、不安一色だった子供達の表情が少し明るくなった。 「…リーブ」 「なんです?」 自分のもたらした話はクラウドにとって喜ばしいことのはずなのに、一向に嬉しそうな顔をせず、それどころか押し殺したような声を出した青年にリーブは首を傾げた。 「あのな…」 「はい…?」 はぁ…。 クラウドの大きな溜め息に、リーブだけでなく子供達もキョトン…とする。 俯いていたクラウドが徐々に顔を上げた。 「そんな恥ずかしいこと、サラッと言うなよ…」 ボソッと呟やかれた言葉に、リーブと子供達はキョット〜ン、として思わず顔を見合わせた。 次いで爆笑する。 傍らのベッドで眠っているティファへの気遣いをすっかり忘れて大笑いする3人に、クラウドは真っ赤になりながら、 「ティファが起きるだろ!?静かにしろ!」 「「「 は〜い 」」」 「…むぅ…」 目に涙を滲ませながら、3人がからかうように返事をして、クラウドの眉間のしわをより濃いものとした。 チラッとクラウドはティファを見た。 この大騒ぎの中、ティファは目を覚ますことなく熟睡している。 つい2時間ほど前まで一緒に寝ていたことが信じられないくらいの熟睡ぶり。 (そう言えば…) 脳になにかしらのダメージ…、ストレス等が過剰に働いたとしても、人間は眠りによって回復しようとする…とかなんとか聞いたことがあるなぁ…と、クラウドはぼんやり思った。 だとしたら、今眠っているティファは、そのストレスやダメージを癒すために眠っているのだろうか…? 「クラウドさん、やっぱり一泊くらいは入院して検査した方が良いのでは?」 たった今までからかっていた人物とは思えない落ち着いた声音で、リーブが優しく提案する。 クラウドは視線をリーブに戻すと、 「あぁ、そうだな。よろしく頼む」 どこか安心したような顔をして仲間に軽く頭を下げた。 「でもさ…」 「ん?」 デンゼルが少し顔を俯かせておずおずと口を開く。 マリンがそっと覗き見るように傍らの少年を見上げた。 リーブはフワフワの髪を持つ頭のてっぺんを見る。 全員がデンゼルの次の言葉を待った…。 「でも…、ティファ、また記憶、ないんだろ…?」 「デンゼル」 マリンがデンゼルの手をぎゅっと握る。 少年もやんわりと握り返した。 リーブがいたわしそうな眼差しでデンゼル、マリン、そしてクラウドを見て、最後に眠るティファを見た。 「もしも…さ。このまま…ティファが完全に俺たちのことを忘れちゃったら…どうする…?」 「どうするって…どういう意味だ?」 椅子から降りて息子の目線に合わせるように片膝をつく。 デンゼルは躊躇いながらクラウドを見た。 「だって、ティファにとって俺達は他人になってるんだろ?それなのに、家に連れて帰るっていうのはティファにとって…その…」 最後まで聞かなくても分かる。 記憶を失った状態のティファがセブンスヘブンに戻るのは、彼女にとって果たして良いことなのだろうか…? クラウドは微笑んだ。 「そうだな、今日、明日に退院して連れて帰るっていうのはティファにとってしんどいだけだろう。だから、暫くは入院してもらうことにしよう」 「でも…」 反論したのはマリン。 ティファと離れて暮らすことに耐えられない、と言わんばかりだ。 クラウドは視線をマリンに転じて小さく頷いた。 「そうだな。寂しいな」 素直な言葉にマリンとデンゼルの瞳が潤む。 クラウドはそっと手を伸ばして2人の頭を優しく撫でた。 「でも、きっといつかまた家族揃って一緒に住める日が来る。だから、それを目標にして頑張ろう」 そう言いながら、クラウドは2人を抱き寄せた。 2人とも、黙って抱きしめられる。 クラウドの首に小さな額を押し付けた。 その背をポンポンと叩きつつ、クラウドは言った。 「大丈夫だ、俺達は家族だからな。ずっと家族だから、一緒に頑張れば案外なんとかなるもんだ」 その言葉に、子供達は大きく頷いた。 そして、後はすすり泣く。 クラウドはその小さな身体をずっと抱きしめ、優しく何度も「大丈夫」を繰り返した。 それは、とても心温まる家族の絆。 リーブは微笑みながら、そっと気づかれないようにドアの向こうへと消えた…。 * 声が聞こえる。 誰かが何かを言っている。 それは、自分に言っているのではない。 その人の独り言なのだろう。 だが、妙に耳に心地良い。 まるで自分に語りかけてくれてるかのような心地良さ。 だけど分かる。 自分に言っているのではないと。 その人が、その人自身に言っているのだと。 ― …大丈夫…絶対に大丈夫だ ― ― どんなティファでも大丈夫。俺はもう二度と同じ失敗はしない ― ティファ…。 そう言えば、よくこの声にそう呼ばれていたような気がする。 ― なぁ…ティファ…?俺、傍に居ても…良いんだよな…?― 途端、打って変わったような悲しい声音に、胸がズキッと痛む。 同時に頭にも激痛が走った。 だが、それを口に出してはいけない。 表情に出してもいけない。 ただ無表情で、ここに横たわっていなくてはならない。 自分にはその理由がある…。 ― ティファ…。俺が一緒に居たから…だから記憶を二度もなくしたわけじゃないよな…?― 違う。 何故だろう。 すぐにその『否定の言葉』が脳裏に浮かんだ。 あなたのせいじゃないの。 私が弱かったからなの。 私がもっとあなたのことを見ることが出来ていたら、あなたは家出なんか…。 …? 家出…? ― ごめん、ティファ。それでも…やっぱり傍にいたいんだ ― その一言で、たった今、頭を掠めた疑問は押し流されて、代わりに歓喜が押し寄せる。 ― ただ…一緒に居たい。どんなになってもティファはティファだ ― どんなになっても…? ティファはティファ。 それは…、もしかして…。 ― ただ…傍に居たい、何も出来ないかもしれないし、ティファも今までみたいにスムーズに色々なことが出来ないだろうと思う、でも… ― …でも…。 …なに? その言葉の続きに胸がドキドキとする。 期待する自分がいることに、気づかないまま耳をそばだてる。 ― ただ…アイシテル。それだけの理由では、一緒に居たら…だめか…?― 湧き上がる歓喜。 それは底なし沼から一気に天上目掛けて自分を飛び上がらせた。 そして、脳裏に甦るのは、数々のカケラ。 記憶のカケラ。 その中に、ティファは自分が記憶を失うきっかけとなったカケラを見つけた。 |