やるべきことは沢山ある。
 まず、店を閉めなくてはならない。
 店を閉めるにあたり、沢山残っている酒類の処分をどうするかも決めなくては。
 調味料類に食器類も。
 捨てるなんて勿体無いことは絶対に出来ない。
 なら、飲食関係の人たちに譲るのが一番だろうけど、『あそこの店には譲ったのに自分のところには譲ってくれなかった』という”贔屓”が出来ても困る。
 あぁ、ならWROの厨房に寄付させてもらおう。
 いずれは仲間にも話さなくてはならないのだから。
 リーブはきっと、快く受け取ってくれるはずだ。
 それらを片付ける合間、家族に伝えなくてはならないこと書き残すこともしなくてはならない。
 家の物がどこにしまってあるのかとか、料理のレシピとか。
 子供たちのために密かにしていた”へそくり貯金”のありかもクラウドに伝え忘れてはいけない。

 半年ごとに衣替えをしないといけないこととか、その時にはちゃんと防虫剤を使用するようにとか、その他にも換気扇のフィルターの交換時期とか、使わなくても店内のファンは定期的に動かさないと壊れてしまうとか。
 小さな小さなことでも、ちゃんときっちり伝えなくては自分がいなくなった時に家族が困ってしまう。

 そして一番大事なこと。

 クラウドを…、デンゼルを…、マリンを…。
 仲間の皆をどれほど愛していたか。
 幸せを与えられていたか。
 本当に本当に幸せで、幸せで、幸せで。

 もっともっと、生きたかったけれど、でも悔いはないのだということをちゃんと書き残さなくては。

 本当にいくらあっても時間は足りない。


 あぁ、どうか神様。
 あと少しだけ。
 あと少しだけ、時間を下さい。
 家族に想いを残すために、”動ける時間”を私に下さい。





時の剥落 3






 帰宅したティファは、あまりにも静かな家の中に一瞬、時に取り残されたかのような錯覚を味わった。
 時刻も夕暮れ時だったのが影響していたのかもしれない。
 窓から差し込む陽光は濃いオレンジ色で、憂愁を感じさせる色合いを店内の床へ伸ばしていた。
 視線を転じ、窓へ向ければ茜色と紫色のグラデュエーションが見事な配色を大空いっぱいに描き出している。

 ティファは1つ深呼吸をすると、胸を締め付けようとする緊張を解きほぐした。

 ゆっくり店内へ視線を戻したとき、ふと一枚のメモに気がついた。
 カウンターに置かれたそれに手を伸ばし、書き連ねられている伝言にショックを受ける。

「………」

 ゆっくりと息を吐き出す。
 必死の思いで終結させた気持ちが呆気なく散っていく…。
 たった一枚の小さなメモによって全身から力が抜けてしまった。


『デンゼルとマリンは可愛い可愛い盗賊が預かった!返して欲しくば明後日の15時、美味しいホットケーキを準備して待つべし!』


 誰の仕業か考えなくても分かる。
 そう言えば、今夜から1週間、ウータイで花火があると数日前に電話でユフィが騒いでいた。
 その時は子供たちを伴ってウータイに連れて行ってやりたい、と思ったことを思い出す。
 しかしその直後、自分の身に巣食う病を知ったせいですっかり忘れていた。
 メモから考えるに、恐らく、明後日の15時にユフィは1人でクラウドと自分を迎えに来る心積もりなのだろう。
 何故、一緒に自分やクラウドを連れて行かなかったのかなど、その真意は察して余りある。

 明後日までの間、クラウドと2人だけの時間をプレゼントしてくれたのだ。

 いつも周りを振り回すお元気娘は時々、こういう小粋な気遣いを見せてくれる。
 いつもなら、その気遣いをテレながらも嬉しく思うのだが、今日は…。

 力なくメモをカウンターへ落とすと、そのままスツールへ座り込んだ。
 張り詰めていたものが全部切れ、ティファは無力感に襲われた。
 だが、そこで踏み止まり、思い直すことに成功した。

 クラウドにじっくり話せるまたとない機会が廻ってきたのだ。

 ティファは少し顔を上げた。
 ユフィは自分にチャンスをくれた。
 最初で、恐らく最後になるであろう、”一番大切な人との大切な時間”を。

 そう。

 とても大切な時間になる。
 もしも今日、この2日間と同じように真相を話せなければ、もう2度と最高の時は与えられないだろう。
 クラウドと最後になるであろう大切な時間を1分たりとも無駄にはしたくない。

 ティファは腰を上げた。


 *


 クラウドは店の明かりがいつもよりも暗いことに眉を寄せたが、すぐにある可能性に気づいて眉を開いた。
 1日の疲れが身体を重くしていたというのに、その”可能性”に気づいた瞬間から心なしか足が軽くなっている。
 フェンリルを押しながらの足取りが力強くなり、目の前が仄かに明るくなった気さえした。
 勿論、気のせいになのだが…。

 クラウドはフェンリルを押しながらいつも通り裏口を目指しつつ、自宅 兼 飲食店の表ドアを通り過ぎざまに見て頬を緩ませた。
 自分の予想が当たったことに胸が高鳴る。

 弾むような足取りになったわけではないが、確実にそのスピードをほんのり上げてクラウドは愛車を裏口 兼 倉庫へ押し込んだ。
 そうしてそっと裏口のドアを押し明け、そこにいる女性(ひと)の姿に目を細めた。

「ただいま、ティファ」

 だが。
 一瞬、物憂げとすら言える表情の彼女にほんのりとした幸福感はあっという間に不安へと摩り替わった。
 しかし、胸がざわついたのはやはり一瞬で、すぐに向けられたいつもの笑顔に生まれたての不安は掻き消えた。

「おかえり、クラウド」
「あぁ、ただいま」

 自分が見たものは見間違いだったのだ、いつもよりも薄暗い明かりの明暗によるものなのだ、と自分を納得させながら、クラウドは躊躇うこくとなくティファに近寄るとそっと抱き寄せた。
 そうして、いつもなら少しだけ恥ずかしそうに身を捩る彼女が、素直にその華奢な身体を委ねてきたことで、子供たちが今夜、ここにいないと確信する。

「デンゼルとマリンはどこに行ったんだ?」
「ウータイの花火祭りみたい」
「そうか」

 脳裏にお元気娘の悪戯っぽい笑顔が浮かぶ。
 予想を立てていた2つのうち、1つがピタリと合ったことにクラウドは苦笑を洩らした。
 勿論、もう1つの予想はバレットだ。

 まったく。
 相変わらず変に気を回して…お人好しな奴だな…。

 そっと抱きしめていた腕を緩めて顔が見える程度に身体を離すと、自然な流れでティファの唇に自分のそれを重ねた。
 ティファも自然にその口付けを受け止める。
 暫くうっとりするほどの甘美な幸福に酔いしれ、名残惜しく思いながらそっと離れた。
 閉じていた瞼をゆっくり開くティファに、背筋がゾクゾクする。
 つい先ほどまで思いもしなかった2人きりと言う時間に気持ちが逸(はや)り、今すぐ2階へ連れて行きたいという情欲が一気にあふれ出しそうになる。
 それを1つ息をつくことで散らし、もう1度だけギュッと抱きしめてから身体を離した。

「シャワー浴びてくるよ」
「うん、その間にご飯用意しておくね」

 ほんのり微笑んだティファに、クラウドは内心ホッとしながら小さく頷いた。
 やはり、自分の感情に流されなくて良かった。
 ティファのことだから、子供たちがいないという滅多にない日の夕食は、いつもと少し趣向を変えている可能性が高い。
 そんな”女心”を、自分の感情だけで無駄にするなど、罰が当たる。
 階段へ向かう間際、チラリと投げた視線の先ではティファが冷蔵庫から用意していた夕食を取り出していた。
 その準備される中にシャンペングラスがあったことを見逃さなかったクラウドは、自分の予想がこれまた外れなかったことに頬を緩めた。
 そのまま階段を上りながら、スーッと緩んだ頬が消えていく。
 幸福感の中にポツリと小さな黒いシミ…『不安』が落ちた。

 ティファの背が、何故かいつもより小さく見えたような気がしたのはきっと気のせいだ…。


 *


 クラウドはベッドに腰掛けてジリジリと焦げ付く思いを抱きながらジッと待っていた。
 焦げ付くような情欲を感じている……わけではない。
 焦燥感と強い不安が、まるで煙ばかりを立ち上らせる不完全な火のように胸の中でブスブスと燻っている。
 先ほどティファと2人きりでの夕食と言う貴重な時間を過ごしたわけだが、何故か終始、ティファは緊張気味、というよりも沈みがちだった。
 中々弾まない会話は、いつもティファがあれこれ楽しく話しをして、それに対し自分は相槌を打つばかりだったのだと改めて思い知らせてくれた。
 自然、黙々と食事を口に運ぶことになった。
 いつもなら心弾ませる美味しいティファの手料理が、居心地の悪さを伴う味気ない時間となって2人の間に横たわった。
 勿論、いつもと様子の違うティファを心配した。
 何度か『なにかあったのか?』と訊ねもした。
 しかしその都度、ティファは作った笑顔を顔に貼りつかせ、曖昧に濁すばかりで最後まではぐらかした。
 触れられたくない話題なのだと言われている気がして、答えを得られるまで強く訊ね続けることが出来なかった。
 気にしながらも答えを無理やり聞き出すことの心苦しさは、ティファを想うが故の結論。
 きっといつか、打ち明けてくれるだろう、と自分に言い聞かせ、無理強いしたいと暴れる自分を宥めすかした。

 それなのに。

『クラウド、大事な話しがあるの』

 ティファは夕食の後のコーヒーを出しながら切り出した。
 真剣で重々しい口調。
 腹の前で組んだ手を微かに震わせ、唇を引き結んで立つ彼女の姿に、心臓が不快にバクリ、と跳ねた。

 思わず、
『後でちゃんと聞くから、とりあえず風呂に入って来たらどうだ?』
 クラウドはティファから言葉を奪った。
 勿論、奪ったとは言えちゃんと話は聞くつもりでいる。
 だがしかし、食事の間ずっと抱えていた不安を現実のものとしようとするティファから咄嗟に逃げてしまった。
 それは…どう言い訳してもしきれない。

 きっと、とんでもなくイヤなことを聞かされる。

 ティファの思いつめたような顔を見れば、それくらいのことはいくら鈍くても容易に想像出来る。
 だが、その内容が全く分からない。
 色々、自分にとってイヤなことを頭の中で並べてみる。

 1.子供たちのことで困ったこと(例えばイジメとか)が起きた。
 2.デンゼルの親戚が突然現れた。
 3.仲間たちの誰かがとても困ったことになっている。
 4.セブンスヘブンに来る客の中に困った奴がいる。
 5.店を閉めたい。
 6.金銭的に大変なことが起きた。
 7.好きな人が出来た。

 この7つのうち、1や2は可能性が高いと思っている。
 特に2の場合はティファと何度も何度も話し合った。
 そして、もしもそういう日がきたのなら、デンゼルの望むようにしてやろう、と決めていた。
 勿論、出来ればずっとこのまま、家族として一緒に暮らしていきたい。
 だが、それが果たしてデンゼルのためになるのかどうか…それは、少年にしか分からないことだ。
 3や4は、例えそういうことば起きたとしても、当人たちだけでなんとかしてしまいそうな気がする。
 3など、リーブあたりが可能性としては濃厚だが、本当に困ったことになっているならティファを通して自分に伝えるというまどろっこしいことはせず、直接SOSを投げかけるだろう。
 5や6は、この7つの中では一番可能性が低い。
 ティファは店をとても愛しているし、6に至ってはセブンスヘブンとデリバリーの売り上げだけで贅沢さえしなければ、十分家族4人、食べていける。
 なら…。

 クラウドは残り7つ目の可能性を考え、ブルリ、と背筋を震わせた。

 冗談じゃない!と、まだティファから”そう”と告げられたわけじゃないのに、腸(はらわた)が煮えくり返りそうになる。
 確かに1年前、自分は酷いことをした。
 自分勝手に殻に閉じこもり、独りよがりな思いに囚われて愚かな行為へ走った。
 その結果、どれだけ家族を…とりわけティファを傷つけたことか…。
 そんな自分に今の幸福は相応しくない、とやっかむ男がいたとしても不思議じゃないし、家出云々のことがなかったとしても、ティファへ純粋な想いを寄せる男はいるだろう。
 だが、誰にもこの居場所を譲るつもりはないし、絶対に離さないし、離れられない。
 誰にも渡さないし、ティファが自分から離れようとすることも許せない、と半ば狂気じみた感情に支配されそうになる。

 ハッとして、大きく息を吸い込んだ。

 なにをバカな想像で勝手に興奮し、息巻いているのだ。
 我ながらバカみたいだ、と思いつつ苦笑が洩れる。

 ふとローチェストの上に鎮座している置時計を見た。
 ティファが風呂に入ってから30分が経とうとしている。
 いつもなら、もうそろそろこの時間くらいにはドライヤーの音が聞こえ終わっているのだが、今はまだ、音すら聞こえない。

 クラウドは立ち上がった。

 風呂場に向かう足は重いくせに徐々に早くなる。
 そんなに距離があるわけじゃないというのに、必要以上に焦りながらクラウドは風呂場のドアの前に立った。
 一呼吸おき、耳を澄ます。
 中から物音はしない、水音も。

「ティファ…?」

 呼びかけるが答えはない。
 まるで、誰もいないかのように静まり返っている。

 一瞬、浴室の窓から夜の闇へ身を乗り出すティファの後姿が脳裏を過ぎった。
 ゾッとしながら、中にいるであろうティファへ、入る旨を断りつつドアを開く。
 そして、クラウドは全身の血が凍りつく思いを初めて味わった。

 浴室と脱衣所を隔てるドアを跨ぐようにして倒れ伏しているのは…。

「ティファ!!」

 意識のないティファへ駆け寄り、名を呼びながら抱き上げる。
 バスタオルを身体に巻いていることや、足は浴室側、頭は脱衣所側という向きで倒れていたことから、入浴後に意識を失ったのだと分かった。
 にもかかわらず体はすっかり冷え切っていて、彼女が倒れてからどれだけの時間が経ったのかを暗示していた。
 何度呼びかけても青白い顔をしたティファは固く瞼を閉ざし、ピクリともしない。
 浅く弱々しい息を繰り返すティファに、例えようもない恐怖が胃の腑から突き上げ全身を覆い尽くす。

 クラウドは名を呼び続けながら冷え切ったティファを強く抱きしめ、駆け出した。
 寝室へ運び、体温がこれ以上奪われないようシーツを山とかける。
 震える手で携帯を操作し、呼び出し音がかかる間は肩と耳で携帯を挟み込みつつ深夜でも行っている病院を探す。
 手早くメモを取り、再び携帯を操作。
 応答に出た病院の受付へティファの状態をつっかえながら伝え、再度メモを走らせると携帯を切り、乱暴にポケットへねじ込んだ。

 振り返ると、このときのクラウドは実に手際よく、出来うる限りの最短時間でティファを病院へ運ぶことに成功した。
 だが、それを誇らしく思う余裕はついに与えられなかった。


「ティファさん!?」

 深夜の入り口となっている病院の通用口を蹴り飛ばすようにして駆け込んだクラウドは、出会い頭の看護師が上げた驚愕に満ち満ちた声に虚を突かれた。
 看護師へ声をかける間もなく彼女は他の看護師を呼び、更に医師まで呼び出した。
 そうして看護師たちや医師は、最初の看護師同様、一様にティファを見て驚いた顔をした。
 中でもまだ若い男の医師は厳しい表情を浮かべると、ティファを抱きかかえたクラウドに奥へ向かうよう言いながら自ら先導した。
 クラウドから一言も事情を聞くことなく…。

「では、こちらでお待ちください」

 処置室、と書かれたプレートの部屋へティファを運んだ後すぐ、クラウドは部屋から追い出された。
 慌しく治療に当たる医療スタッフを前に、クラウドはティファがどういう状況なのか、また、これからどういう処置をするのか等、一切質問出来ないまま、半ば呆然としているその鼻先でドアを閉められた。
 廊下に設置されている椅子へ座る気にもなれず、信じられない思いを抱きながら処置中、と明かりの点いた表示灯を見上げる。

 何故、ここのスタッフはティファを知っている?

 先ほどからグルグル頭の中を廻るその疑問。
 ティファが数日前に受診した病院がここなのだろうか?
 嘔気やだるさ、微熱が続いているためティファは自分にも子供たちにも内緒でひっそりと病院を訪れていた。
 もしかしたら妊娠しているのかもしれない。
 ティファはそう思っていたのだ、と子供たちから聞かされたとき、図らずもクラウドは胸の奥底が熱く震えた。
 だが、ティファは妊娠していなかった。
 過労による風邪。
 そう診断されたと聞いた。
 その病院がここだったということなのだろうか?
 恐らくそうなのだろう。
 だから医師たちはティファを知っていたのだ。

 それだけ。
 それ以上の理由はない。

 だが、本当にそれだけか?
 どう考えても不自然だろう?
 ティファが目を惹く女性だとしても、絶対にそれだけじゃないはずだ。

 だが、なにがある?

 クラウドは自問自答しながら、押しつぶされそうな不安を振り払うように勢い良くソファーへ座り込んだ。
 ティファが一体どうしたのか、どういう症状を発し、何故深夜の病院に駆け込むことになったのか一言も質問されなかった現実がこんなにも恐ろしい。
 まるで、聞かなくても処置すべき症状を知っていたかのような迅速な指示を下す医師の姿を思い出す。
 粘つくような不安が胸いっぱいに膨らみ、大声で叫びだしたい衝動と戦うクラウドが絶望に叩き落されたのは処置室から締め出されて約15分後。


「…な…んて…?」

 白衣を着た若い男性医師の言葉がグワングワンと脳内を廻る。
 にわかには信じられない”告知”は、頭の中を回るだけで理解が出来なかった。

「せめて”その注射”をしたあと、すぐにきちんとした医療施設を受診していればあるいはここまでのことになっていなかったかもしれません。ですが…もう今となっては…」

 診察室の椅子に呆然と腰掛けるクラウドに、若い医師は沈痛な面持ちで言葉を重ね、痛ましそうに視線を逸らしてカルテを見た。

「出来るだけ、彼女の希望に沿った生活を送って頂ける様に尽力するつもりです。ですが、彼女に告げた”時間”はあくまで最善の治療を迅速に”当院”で施した場合のことです。もしも…ご自宅で出来る限り生活して、最期を当院で…ということになると、若干変わってきます」
「待って…くれ。今、なんて言った?」

 医師の言葉を遮るようにして声を振り絞る。
 情けないほど掠れ震えた声音を、だが医師は笑ったりしなかった。
 まるでその声を出したのが医師であるかのように、医師自身、青褪めて生気のない顔色をしていた。
 再び視線を向け、医師はクラウドを真正面から見た。
 メガネの奥の瞳は辛そうに眇められていた。

「ウイルス性の肝硬変が癌へ移行し、その癌が全身に転移しています。一番深刻な臓器は原発となっている肝臓と転移先の胃です。最初に当院を受診した時に話してくれた症状である嘔気、微熱、倦怠感は全て癌のせいです。そして今夜、ティファさんが意識を失われた原因は、胃からの少量の出血と精神的な疲労、それに恐らくここ数日は眠れていないところへ長時間の入浴をしてしまったことによる貧血です。出血の方は止血剤の点滴で恐らくなんとかなると思います。ですが、ティファさんの余命は半年……無いでしょう」

 一息つき、医師は目を伏せた。

「お気の毒ですが…回復するための手段はありません。先ほど言った『最善の治療』と言うのは、いかに苦痛の無い状態へ導き、失われていくであろう体力を服薬や点滴加療にて補えるか。その状態状態に応じた量や種類を調整した薬の処方、それくらいです」

 最後の医師の声がどこか分厚いベールの向こうから聞こえるように霞んで聞こえた。
 息を吸おうとして…喉が震える。
 上手く肺に酸素が入らない。
 喘ぐように大きく肩を上下させながら、クラウドは縋るように医師へ僅かに身を乗り出した。

「少しも…?ほんの少しも手立ては無い…?」
 例えば、癌に侵されたその部分を切除してしまう…とか。
 完全に切除が出来なかったとしても、少しでも悪いところが減ってくれればあるいは…。

 だが医師は一瞬、目を伏せそうになったがグッと唇を引き結び、顎を引いて小さく頷いた。

「下手な手術はティファさんの体力を根こそぎ奪いかねません。癌による苦痛だけでも体力を奪い、命を縮めかねない。ですから、ペインクリニックを完璧に施し、彼女から苦痛を取り除かなくては…。出来るだけ生きながらえるためには、それが大前提であってそれが唯一の方法なんです」

 ティファ。

 クラウドは心の中で呟いた。
 昨夜のティファの姿が唐突に蘇る。
 あの時。
 ティファが腕の中で泣きじゃくったのは、子供が出来ていなかったことがショックだったからだと思っていた。
 なにか言いかけたその言葉を遮り、自分の思ったことを口にするばかりでティファの言葉を聞こうとしなかった。
 子供が出来ていないことのショックだと信じて疑わなかったのに、まさかこんな…。

「俺は…なんてことを…」

 思わず片手で胸元のシャツを鷲づかみにして強く胸を押し、クラウドは呻いた。
 あまりにも残酷で見当違いな言葉をかけ続けていたのだと思い知る。

 大丈夫、と繰り返してしまった。
 そのうち出来るから、と。

 なにが大丈夫か。
 なにがそのうち出来るからだ。

 ギリリ、と音が鳴るほど奥歯をかみ締め、クラウドは胸を鷲づかんだまま背を丸めた。
 医師や後方で控えていた看護師がギョッと近寄り、肩に触れ、いたわりの言葉をかける。
 同時に他の医療スタッフを呼び、クラウドを別室で休ませるよう指示をしながら手首から脈を測る。
 医療に携わるものとして実に相応しい対応をとるスタッフ達に囲まれながら、だがクラウドはただただ、己の愚かさに打ちのめされ、小さく小さく身を震わせるばかりだった…。