『ヴィンセント。ティファの具合どう?』
『今のところはなんとか自宅でやっていけそうだ。だが食欲が異様に少ないから点滴のための通院が欠かせない』
『…そう。でもそれなら先生に来てもらった方が良くない?体の負担とか考えたら』
『それも考えたんだが、自分1人が特別扱いを受けるのは…とティファが拒否している。今、世界的に見ても医者が足りない。エッジのような急速に発展している街でも同じだからな』
『ティファらしい…』
『勿論、いよいよとなったらそんな事も言っていられないから往診を頼むつもりではいる』
『…入院は?』
『相変わらず保留だ。最初、入院も考えていたんだが主治医的にはあまりお勧めではないらしい。自宅で出来る限り過ごした方が自分らしい生活を長く送れるだろう…と。クラウドとティファがよくよく話し合って決めたようだから子供たちも私もその意思を尊重するだけだ』
『そっか。ところで、リーブからなにか報告は?』
『ない。今、WROでも他の病気についての研究が立て込んでいるようだ。勿論、だからと言ってティファの命がかかっているからな、そこは局長命令でなんとか研究テーマのひとつにねじ込んではいるようだが、成果は芳しくない』
『うわ〜。なんかいつものリーブならちょっと想像つかないね。”私情を挟んだ局長命令”するなんてさ』
『まぁそうだな。だが、いずれはこの星の益となる研究だ。私情ばかりではないだろう』
『うん、まぁね。バレットも特に発見はなしって嘆いてたし。アタシのとこも…』
『そうか。ナナキもつい昨日、しょげきった声で電話をかけてきた』
『そう…。ねぇ、ところでさ…クラウドはどう?』
『だいぶ無理をしている。正直、見ていて痛々しいのはティファよりもクラウドの方だ。ティファとデンゼル、マリンの前では決して暗い顔を見せないように気を張っている。その分、周りに誰もいなくなったときの落ち込みようが激しい』
『…そんなに酷いの?』
『あぁ。よく頑張っていると思う。それをティファも分かっているからこそ気をしっかり持つことが出来ているのだろう。自分の苦しみや恐怖を我がことのように思い、痛みを感じてくれる人間が傍にいるのだから』
『…そう』
『だが、正直あまり感心しない。夜も恐らくまともに眠れていないようだからな。このままだとクラウドが倒れるのは時間の問題だ。それに、みんなからの報告が芳しくないことで焦燥感でどうにかなりそうな時も多い。とりわけ、夜になって子供たちやティファが寝てしまった後はちょっと危険だ。今は何とかティファの傍にいることがクラウドが出来る中での最善のことだ、と説得はしているが…いつまでこの説得が通用するか…』
『…ちょっと、それが分かってるならなんとか支えてやってよ。なんのためにそこにいるわけ?』
『…まったくだ。己の無力さをかみ締めるばかりだ』
『あ〜…ごめん、言い過ぎた。本気じゃないから気にしないで。あ、それからまた近々見舞いに行くからさ、そのときにウータイの地酒でも持っていくよ。それ飲んだら少しくらい眠れるかもしんないしね』
『そうだな、頼む』
『うん。じゃあティファたちによろしく言っといて。クラウドには『あんまり無理すんなよ』ってさ』
『分かった。伝えておこう』
『じゃあね』





時の剥落 6






 クラウドは突然走った指先の痛みに一気に現実へと引き戻された。
 鋭く小さく息を呑み、手を引っ込める。
 みるみるうちに親指の先から赤い鮮血が盛り上がり、滴りはじめて傍にいたデンゼルはギョッと声を上げた。

「クラウド、大丈夫!?」
「あぁ、問題ない」

 包丁を置きながら傷口を口に含むと鉄の味が広がり、一気に不快な気分でいっぱいになる。
 蛇口を捻って冷たい水に傷口をさらしている間にデンゼルは救急セットを取りに走った。
 あまり音を立てないよう注意しようと口を開いたが、既に手遅れだと気づいてクラウドはため息をついた。
 徐々にズキンズキンと痛み出す傷口を忌々しく睨み付ける。

 絶対にヘマはしない、情けない姿は見せない、泣き言は言わない、常に毅然とした態度を崩さない。
 自分がしっかりしないでどうするんだ、負けるな、頼るな、甘えるな。

 ずっと己にそう言い続けてきたのにこのこの体たらく。
 集中力が切れてしまった途端にこれだ。
 この調子ではティファと子供たちを守ることなど出来やしない。

 急激に苛立ちが爆発しそうになってクラウドは悪態をつきかけた。
 しかしデンゼルの足音にギリギリでその言葉を飲み込むことに成功する。
 ほどなくしてデンゼルは救急セットを手に戻ってきた。

「大丈夫か?はい、消毒消毒」

 手際良く救急セットの中から必要なものを取り出すデンゼルに苛立ちが少しだけ和らぐのを感じながらクラウドは謝った。

「ごめん、デンゼル」
「なにが?これくらい気にしない気にしない」

 軽くサラリと流しながらデンゼルは傷口に消毒スプレーを吹きかけ、化膿止めを塗りこんだガーゼを押し付ける。
 痛くない?と訊ねられ、大丈夫だと即答しながらもズキズキと痛みは心臓の鼓動がそっくりそのまま、親指の先に移動したかのように疼いた。
 だが、痛いのに痛くないと思ってしまうのは本当だった。


 こんな痛み、ティファに比べたら…。


「やっぱりマリンが料理当番した方が良かったかもなぁ」

 手際良く処置を終えて鹿爪らしくそう言うとデンゼルは気遣わしそうな、少し困ったような顔で小さく笑(え)んだ。

「クラウド、マリンと替わってこいよ。もうその手じゃ今日は無理だろ?大丈夫だって、心配しなくてもマリンも絶対にティファより台所のことの方が気になってるから」

 クラウドは反論しようとして、結局口を閉ざした。
 確かに、この手では今日はもう料理は無理だろう。
 傷ついた手で料理をすることが食中毒の原因になることくらいクラウドだって知っている。
 小さくため息をつき、ごめん、ともう一度謝るとデンゼルは苦笑した。

「大丈夫だって。クラウド疲れてるんだ。ティファと一緒に寝てきたら?ご飯出来たら呼びに行くからさ」
「どうした?あぁ、怪我をしたのか?」

 低いテノールの声が割り込み2人は顔を上げた。
 ヴィンセントの紅玉の瞳はいつも変わらない冷静さを湛えており、それに少しだけクラウドは慰められた。
 なんとなく、無様な自分を見せても何も変わらずそこにいてくれそうな気がするのかもしれない…。

「ヴィンセント、どこ行ってたのさ。あ、丁度いいや。クラウドの代わりに手伝って?クラウド、ちょっと疲れが溜まってると思うんだ。クラウド、ほらさっさとマリンと交代して来いって。大丈夫、ヴィンセントも手伝ってくれるんだからすぐにご飯の準備出来るからさ」

 口を挟む暇もなくカウンターから追い出しにかかったデンゼルにクラウドは目を伏せるともう一度謝った。



 ティファの病気を知ってからもう3ヶ月になる。
 子供たちのショックは決して小さくなかった。
 むしろ、自分がその事実を知ったときに受けた衝撃よりも大きかったようにクラウドは感じている。
 だが、デンゼルとマリンは今、しっかり現実を見つめて受け入れていた。
 日々、状態変化の様相を呈しているティファを間近で見ながら、自分たちの出来ることを必死に探し、実践している。
 料理、掃除、洗濯、買い物。
 日々の家事の多さにクラウドは驚いたが、子供たちはそれをこなすことにいささかも躊躇わなかったばかりか実に手際良くこなしてくれている。
 ティファの手伝いを日ごろからこまめにしていたことが伺える子供たちにどれほど力づけられたことか。
 そればかりではなく、急を報せてすぐに仲間たちが来てくれた。
 それも、あの星を救う旅を終えたとき、さっさと去っていったヴィンセントが一番に駆けつけてくれた。
 そうしてほかの仲間たちがいったん自分のあるべき場所へ戻った後もこうしてここにいてくれている。

 どれほど感謝していることか、とてもじゃないが言葉には出来ない。

 だが。
 それでも心に巣食うまとわりつくような不安と恐怖は拭いきれない。
 告知を受けて5週間が過ぎた頃からティファはすっかり力をなくしてしまった。
 医師が言うにはそもそも、告知をした時点であんなに元気に動けていることの方が不思議だったらしい。
 既に慢性的な微熱症状が続いていた身体はだるくて仕方なかったはずなのに、その状態で店を営み、日々変わらぬ生活を続けていたなど、よほど基礎体力と根性がある人なのだ、と感心されたことは記憶に新しい。
 だがそれが結局は裏目に出たことになる。
 他の、一般的な人ならとっくに病院を受診し、適切な処置を受けていただろうに。
 そうクラウドが思ったのを医師はちゃんと察したのだろう、『どちらにしても、2年以上前にきちんと検査を受けていなければ同じような状態になったと思います』と言った。
 2年以上前。
 ということは、打倒神羅を旗印にティファはアバランチで必死になって戦っていた頃だ。
 今のような医療技術が一般人に受けられるはずもなかっただろう。

 どちらにしても、ティファの歩む道は変わらなかったのだ、と誰かに言われているようでクラウドは胸の中の鉛がまた重くなったのを感じた。

「…」

 ティファのいるドアの前に立ち、軽く息を吸う。
 目を閉じて…開く。
 その瞬間、クラウドは憂鬱な気持ちを追い払い、”いつも”の仮面をかぶる、完璧に。

 ここにいるのは不安と恐怖に雁字搦めにされている弱い男ではなく、ティファと子供たちを守れる強い意志を持った男。
 頼れる男。
 ドアノブを握ったその手は微塵も震えてはいなかった。


 *


「ティファ、具合どう?」

 ティファは気だるげに微笑みながら大丈夫、とだけ答えた。
 その口調がとても眠そうで、ユフィもつられて微笑みながら思わずティファの頭をよしよし、と撫でた。

「ごめんね、眠いんでしょ?寝てていいよ。あ、そうそう」

 ユフィはゴソゴソと背負っていたナップサックを膝に乗せて中を漁ると、小さく首を傾げて不思議そうにしているティファに持ってきたものを見せた。
 傍らでその様子を見守っていた子供たちやクラウド、ユフィと一緒にやってきたシドとナナキも一様に目を丸くする。

 色とりどりの折り紙で作られたそれを子供たちは興味津々に見つめた。

「ユフィお姉ちゃん、それなに?」
「ユフィ姉ちゃんが1人で作ったのか?」
「ふふん、これはね。”千羽鶴”ってんだ。ウータイに昔から伝わるおまじない、みたいなものかな?病気とか怪我した人のお見舞いに持っていくんだよ。千羽目を折り終えたら願いが叶う、とか言われてるけど、一羽一羽その人が早く良くなるように願いを込めて折ってる”気持ち”を届けるものなんだ。あなたが早く良くなりますよう心から祈っていますってね。流石に千羽折るのは時間がかかったかかった、ついでに肩も凝ったよぉ」

 感心したような子供たちの視線を受けながら、ユフィは持ってきた千羽鶴をティファに渡すのではなくクラウドへズイッと差し出した。

「…なんだ?」
「これ、ティファの枕元の壁に吊るして」
「…吊るすのか?」
「そ。これはそういうもんなんだよ、吊るしてる千羽鶴を見舞われた人がいつでも見られるようにってね。『あぁ、こんなに私は思われてるんだなぁ』って見舞われた人がいつでも元気を出せるように」
「そうか」

 ユフィの説明にクラウドは素直に従った。
 ティファはクラウドが壁に釘を打ち、千羽鶴をかけるのをぼんやり見上げながら口元を淡く綻ばせた。

「どうだティファ?」
「うん…良く見えるよ。ありがとうクラウド。ありがとうユフィ」

 トロンとした口調のティファにユフィは一瞬だけ泣きそうに顔を歪めたが、すぐにニッカリ笑うと傍らに立つ子供たちを見た。

「んで?今日の昼ご飯なに?楽しみにしてたからさぁ、シエラ号でも食べなかったんだ〜」
「今日はねぇ、私とデンゼルでハッシュドビーフ作ったの。沢山あるからどんどん食べてね」
「お、ラッキー!アタシ、ハッシュドビーフ大好きなんだ〜」

 はしゃぐ声を上げたユフィに和やかな空気が流れる。
 クラウドは温かな雰囲気に硬く緊張していた心が解れていくような気がした。

「そうね。ユフィは…ハッシュドビーフが…大好きだったもんね」

 小さな声に心臓が跳ねたのはクラウドだけではないだろう。
 一瞬、皆がハッと息を呑んだ。
 しかしクラウドはそんな仲間や子供たちよりもベッドの中で穏やかに微笑んでいるティファにしか目が向かなかった。
 ティファは眠さとだるさのために気だるげな表情をしながらも、ユフィへとその温かな眼差しを注いでいた。

「あの旅で…、まだだって言ってるのに…『少しだけ味見させて』って言って…一口食べたら『美味しい』って大げさなくらいはしゃいでくれて…』

 言葉を切ってティファはクスリと笑った。

「嬉しかったわ」

 心に染み渡る声。
 胸を打つ響き。

 ユフィの顔が徐々に泣きそうに歪む。
 仲間たちも同様だ。
 
 歪みながら、ウータイの忍は堪(こら)えきった。
 ニカッ、と笑って行儀悪く椅子の上で胡坐をかき、照れたような仕草で身体を前後に揺らした。

「へへっ。ティファの料理はいつでも美味しかったからさ、アタシご飯の時間がいっつも楽しみだったんだ〜!逆に、ティファ以外が料理担当の日はもう駄目!戦闘もなんもやる気になれなかったもん」
「けっ、よく言うぜ。お前はマテリア絡んだ時だけだっただろ、やる気になったのは」
「あは〜ん、なんのことかなあ〜?」
「あぁ、可愛そうに。もう物忘れが始まっちゃったのユフィ?」
「ムカッ!うるさいよナナキ!その口、縫ってやる!」

 あっという間にしっとりとした温もりに溢れた空気がいつもと変わらない賑やかなものになる。
 クラウドは暫し、止めるのも忘れて言い争いと言う名のじゃれ合いをする仲間たちと、そんな仲間たちを見て笑う子供たちを見ていた。
 目の前で繰り広げられているのは、ティファの病気が分かる前にずっとあったはずの明るくて楽しい時間だった。
 じゃれ合うように言い合うデンゼルとマリン。
 そんなデンゼルとマリンを見守り、時には口を挟みながら幸せそうに笑うティファ。
 今、目の前の光景にクラウドは胸の奥底から競り上がり、締め付けられるような思いをかみ締めた。

 それは渇望。

 あの頃に戻り、あの時当たり前にあった時間を大切に抱きしめたいと言う願いにも似た思い。
 何の不安も感じず、ただ目の前の家族を愛しいと思い、幸せだと能天気に思っていたあの時には戻れない。
 本当にかけがえのない時間たち。
 剥がれ落ち、二度と戻ってこない時のカケラ。
 もっと大切にしていれば良かった、と何度悔いただろう?
 悔いても悔いても、手遅れだし時間の無駄だと思い知らされてこの3ヶ月を過ごしたのに、それでもまだ未練がましくグズグズ思ってしまう。

 クラウドはそんな自分を蹴り飛ばすかのように大仰にため息をつくと、幸せな空気を思い出させてくれたユフィたちを1階へ追いやった。
 文句を言いながらも階下へユフィたちが向かった後、部屋は急に静寂に支配された。
 聞こえるのはクラウドとティファ、そしてヴィンセントの微かな呼吸だけ。
 階下から聞こえてくるユフィたちの騒がしい声の方がよほど大きいくらいだ。

 だから名を呼んだティファの声がクラウドの耳には大げさなくらいに大きく聞こえた。
 必要以上に勢い良く振り向いたポーカーフェイスにティファはクスリと小さく笑った。

「あ…なんだ?ティファ」
「クラウドも…ご飯に行って来たら?って言ったの。ヴィンセントと一緒に」
「いや、俺は…」

 クラウドはゆっくり首を振りながらベッド脇の椅子へ腰をおろした。
 ティファがベッドで休んでいるときの彼の指定席だ。

「ティファはどうする?朝食からさほど時間が経っていないが起きて食べに行くか?」

 質問に対して質問で応じたクラウドに、ティファは困ったように眉根を軽く寄せた。
 そして申し訳なさそうに首を振る。
 予想していた通りの答えだったが、胸がずきりと痛む。
 ここのところ、ティファは本当に食が進まなくなっていた。
 みるみる痩せていくティファに”その日”が無情にも近づいているのだと思い知らされるようで胸が抉られる。

「私が運んでこよう。ティファには…そうだな。マリン特製のジュースかなにかが良いだろう」
「……すまない」

 ヴィンセントの静かな申し出にクラウドは顔を向けた。
 無言のまま小さく頷きつつ歩き出したヴィンセントに、ティファも弱々しく謝意を口にする。

「ありがとう…ヴィンセント」
「気にするな。たいした手間じゃない」
「うん…」

 素直に頷いたティファは長い長い吐息のような細い息を吐き出すと、最後にもう一度口を開いた。

「本当に…ありがとう」

 クラウドはその声に胸が締め付けられた。
 ヴィンセントも同様だ。
 今にも目の前で掻き消えてしまいそうな錯覚を覚える。
 ヴィンセントはいつの間にか止めていた足を再び踏み出し、ドアを閉めた。
 ティファの消えてしまいそうな笑顔に気持ちをざわつかせながら。


 階下へ降りると楽しげに食卓を囲んでいた仲間と子供たちが一斉に顔を向けた。

「どうだった、ティファ」
「疲れてなかったかな?」

 ユフィとナナキが開口一番、ティファの身を案じた言葉を口にする。
 自分たちがはしゃいだことで変に疲れさせてないかが心配なのだろう。
 心配しながらも、いつも通りを貫かんとした仲間たちに頼もしさを感じる。

「大丈夫だろう。だが」
「だが?なんだよ」

 ビクビクするユフィに少し肩を竦め、口を開いた。

「ご覧の通り、私もすぐに降りてきたんだ。ユフィたちが部屋から出た後の事を話すには、話題が少なすぎる」
「あ…そっか」

 なんとなくシュンとうな垂れたユフィに、珍しくシドがガシガシとその黒髪をつかむようにして撫でる。
 当然のように抗議の声が上がったが、シドはカラカラ笑いながら、
「よしよし。気にすんな!ティファならいつも通りにしてくれたユフィやみんなに感謝こそすれ、『ああいう気遣いは疲れるだけ』とかそんな罰当たりなことは言いっこねぇって」
 と、やや乱暴に慰める。
 マリンとデンゼルもシドに同意し頷いていたが、カウンターの中に入ったヴィンセントに目を丸くした。
 かと思うとすぐに察し、軽やかに駆けつける。

「ティファへはこっちのジュースがいいと思うの。ブドウと桃をベースにした野菜ジュース。飲みやすいよ」
「うん、俺がしっかり毒見してるから大丈夫」
「むっ、デンゼルなにそれ〜。味見って言って」
「どっちも一緒じゃん」
「違うもん!」

 あっという間に始まった兄妹喧嘩に沈みかけた空気が浮上する。
 ヴィンセントは名残惜しく感じながら2人の口喧嘩の間に入ると受け取った野菜ジュースとクラウド用のビーフシチューを盆に置いてカウンターを出た。

 そして、そっとドアノブに手を伸ばして…。
 そのままヴィンセントは中から微かに洩れ聞こえる2人の会話に耳を澄ませた。

「クラウド…」
「ん?」
「ありがとう」
「なにが?」
「うん…沢山」
「……」
「本当に…嬉しい、幸せ…、とっても」
「……」
「だから…」
「……」
「心配、しないで?」
「……」
「私は、ちゃんと幸せで…胸いっぱい」
「…そうか」
「あぁ、そうだわ。あのね、クラウド。マリンに…レシピを伝えたいの。この前、渡したけど、まだ料理があったこと、思い出して。でも、字を書くのがしんどいから…代筆、お願いして良い?」
「だ、代筆…?」
「うん…ダメ?」
「…お、いや…うぅん…」
「ふふ。大丈夫、だよ。クラウド…自分で思っているより、綺麗だよ。字」
「…そうか?…いや、そんなことないのはちゃんと分かってる」
「じゃあ、クラウドが書いて、それを誰かに清書してもらったら?」
「ああ、なるほど。そうだな、シエラさんにでも頼むか」
「わざわざ?ヴィンセントに、お願いしたら?」
「…ヴィンセント…」
「ぷっ。クラウド、その顔」
「いやだって。ヴィンセントって字、汚そうだぞ?」
「ふふ、失礼よ、そんなこと言ったら」
「いや、まぁ見たことはないけど…」
「じゃあ、一度書いてもらって、それでダメそうなら…シエラさんにお願いする…とか?」
「あぁ、そうしよう」

 ヴィンセントは眉間にしわを寄せながら絶対に書かないと誓った。
 そして、完全に部屋に入るタイミングを逃したことを知る。
 自分の名前が出るとは夢にも思わなかった。
 聞き耳を立てることになったのは、2人の時間を邪魔したくなかったからだ。
 ティファは最近、よく眠る。
 起きている時間が短くなりつつある。
 だから、こうして起きて会話が出来る時間を出来るだけ与えてやりたいと思っただけの話。
 まさか、自分の字の汚さを憶測されてしまうとは。

 非常に複雑な気持ちを味わっている間も2人の会話は続いている。

「ねぇ、クラウド。もう1つ、お願いがあるの」
「なんだ?」
「あのね。明日、私をフェンリルに、乗せて欲しいの」

 クラウドが驚愕のあまり絶句したことがドアの外からでも分かった。
 ヴィンセントも驚きのあまり思わず短く声を上げそうになった。

「ティファ…それは…」
「うん、しんどいだろうなぁ…って思うんだけど、でも…」

 ティファの少し疲れたような吐息が小さく聞こえた。

「今、乗っておかないと乗れないままだろうな…って」
「ティファ…」

 クラウドがどのようにしてティファを思いとどまらせようとしているのか悩んでいる姿がありありと目に浮かぶ。
 ヴィンセントは今度こそ自分も部屋に入り、クラウドと一緒にティファを思い止まらせるために手助けをすべきだと思った。
 だが。

「私…もう一度、見ておきたいの。クラウドが…目にしている風景を」

 ヴィンセントは静かに目を閉じた。
 ティファにとってなにが最善なのかを考えているつもりで、自分たちの気持ちを気づかないうちに押し付けてしまう危険性に気づかされた。
 そして今まさに、間違えた道を勧めるところだった。

 ティファにとって、クラウドの見ている世界、クラウドの立っている場所に触れることが出来るなら少々無理をしてでも触れたいのだ、一瞬だけでも。
 その切なる願いを”ティファの身のために”と言って、退けてしまうところだった。
 それは、ティファのためではなく自分たちの不安をそのままティファに押し付けてしまうことに他ならない。


「ああ、分かった。じゃあ、明日晴れたらツーリングに出かけよう。しっかり寒くないよう身支度してな」


 クラウドの選択。
 それは、ティファにとって正しい道だった。
 誰の助言をも受けず、自らそれを選択することが出来たクラウドに、ヴィンセントは知らず微笑んだ。
 そうして、ドアノブへ再び手を伸ばす。

 大切な仲間を最後まで傍で見守ると誓いを新たにしながら…。