『クラウド、今どこ?』
「今はまだコスタだ」
『そう…。予定通り帰れる?』
「あぁ、配達も終わったしな。今のところ変更はない。バレットも相変わらずだ」
『良かった…あの…』
「ん?」
『気をつけて…ね?』
「あぁ、ありがとう」
『それじゃ…』
「あぁ」

 携帯を切ったクラウドに、バレットが呆れたような顔をした。

「今の…ティファか?」
「あぁ、なんだ?話したかったのか?」

 訊ねると、バレットは巨体を少しだけ小さくして首を振った。

「おめぇ、昨日こっちに着いたときから何度目だよティファの電話」
「さぁ、数えてないからな」
「そう言う問題じゃなくて…ちょっと多すぎねぇか?」
「そうか?」
「『そうか?』って……、まぁいいけどよ」

 肩を竦めるバレットを尻目に、クラウドは少しだけ無愛想な顔を綻ばせながら愛車に跨った。

「それじゃ、また」
「お、おお…」

 別れの言葉はいつもそっけなく、愛車を走らせるときは後ろ髪引かれることなど全くない走りっぷりでクラウドは帰っていく。
 それはいつも通りなのにバレットには奇異に見えた。

「あいつ…なんであんなに上機嫌なんだ…?それにティファも…ちょっと異常だったよなぁ、心配の仕方が…。電話、ハンパねぇし」
 あいつら、大丈夫か?

 もう地平線と同化してしまったクラウドの背を追うように走り去った方角へ目を向けたまま、バレットは小さな不安を織り交ぜた声で呟いた。






永久に 3






 大丈夫、大丈夫。

 ティファはカウンターの中に立ち、いつも通り仕事をこなしながら、呪文のように胸の中で繰り返していた。

「ティファ〜、オーダー追加〜!」「ティファ〜、ドリンク出来た?」
「は〜い、了解!ドリンクは〜っと、はい今、出来たわよ、よろしくね」

 マリンとデンゼルにいつもと変わらずテキパキ応えながら…、笑顔を貼り付けながら…、先ほど客から聞かされてしまった言葉で心が不安千切れそうになっていた。

『旦那のバイク、すぐそこの公園前に停まってたけど、もう今日は仕事あがりかい?』

 コスタに配達をして今日帰宅予定のクラウドと、今朝電話で話しをしたときには何も言っていなかった。
 それなのに、家のすぐ近くの公園前にバイクを停めて寄り道をしているという事実を他人から知らされたことが、ティファを強い不安に陥れていた。
 2週間前と全く同じ状況は、ティファを酷く揺さぶっている。

 しかし、本当はそんなことくらいで不安になる必要などどこにもないのに。
 クラウドであろうと誰であろうと、予定が変更になってしまうことなど世の常だ。
 ティファだって実際、営業時間を変更することがしばしばあるのだから。

 だがしかし。


 どうして何も言ってくれなかったの?
 折角早く帰れても、言ってくれないと意味がないじゃない。
 それとも…私に言えないようなことをしているの?
 だから、早く仕事が終われそうなのに連絡をくれないの?
 それに…ねぇ、どうしてまだ帰ってこないの?
 お客さんがクラウドのバイクを見た…って時間から1時間が経とうとしてるのに…。
 ねぇ…クラウド……どうして?



 悩み事を誰にも言わず、1人で抱え込む性分であるティファは、今回のことも子供たちにすら愚痴をこぼさず、不満と不安を胸に溜め込んでしまっていた。
 だから、自分の抱く不安と不満が実は酷く矛盾していると言うことも、滑稽であるということも指摘されず、ずっと抱えてしまう悪循環に陥ろうとしている。

 その事実にティファは気づけない…。

 最近、ティファに元気がない。
 マリンとデンゼルは心配そうに顔を曇らせた。
 理由は何となく察しがついている。
 最近、よく店に来る茶色の髪をふわふわと可愛く丁寧に手入れしている女性客の存在。
 どうやら1ヶ月ほど前に友達と一緒に性質の悪いナンパに遭い、困っていたところをクラウドに助けてもらったらしく、後日どうやって調べたのかセブンスヘブンにやって来た。
 それ以来、彼女1人で店に通い詰めている。
 お目当ては当然、困っていたところを助けてくれたクラウドだ。
 ピンチの時に颯爽と現れた容姿端麗な若い男に憧れない女はいないだろう。
 それが腕っ節まで強ければ尚のことだ。
 以来、彼女は店に通い続け、ティファをライバルと認識していた。
 しかし、だからと言って嫌がらせなどは全くないし、イヤミを言われたようでもない。
 一度、クラウドと結婚しているか聞かれた程度のはず。
 それに、あれからクラウドは店を手伝う機会がなく、配達業を忙しくこなしているため、問題の彼女は今日まで再会するチャンスを手にしていない。
 ならば、なにをそんなに気にする必要があるのだろう、とデンゼルとマリンは首を傾げるのだ。
 確かに少しくらいなら気にしたって仕方ないとは思う。
 だが…。

「よぉ、デン坊」
「……はい?」

 あまり好きではない呼び方をされてつい返事をするまで間を空けてしまったデンゼルに、常連のその男は酒臭い息を吐きながらデンゼルに顔を寄せ、声を潜めた。

「最近、ティファちゃん元気ねえみたいだが、旦那と喧嘩でもしたのか?」

 酒臭い匂いに思わず顔をしかめながら、デンゼルは首を振った。
 わざと明るくニッコリ笑って否定したのは、周りで聞き耳を立てている他の客たちへの牽制だ。

 聞いていないフリを装い、素知らぬ顔で酒や料理を口に運んでいるが、全神経が自分の発する言葉に向けられているのを感じる。
 クラウドに対してティファが何かしらのことで不安になっていると客たちに知られると、これ幸い!とティファへちょっかいをかけることは明白だ。
 それに、これは家族の問題なのだから他人に色々詮索されるのは面白くない。

 男は酒のせいでトロンとした目で「そうか〜?ならいいけでよぉ、なんかあったら言えよ、力になるからよぉ」と、回らぬ舌でそう言った。
 デンゼルはそれに対してニッコリ笑うだけで止まると、返事を返したり、頷いたりせずにその場を去った。
 相手に都合の良い印象を与えるだけで決して同意したり、安請け合いしないのがデンゼルの…、そしてマリンのこだわりだ。
 これまでにもクラウドが長期で家を空けていた間に、ティファやデンゼル、マリンを案じるフリをして甘い言葉をかけてくる男たちは幾人もいた。
 彼らに少しでも同意らしき言葉を口にしたら最後、それを武器に散々迫ってくる。
 まだ幼いながらもそのことを学んだセブンスヘブンの子供たちは、決して言葉で返すことはしないように気をつけていた。

「デンゼル…」
「うん?」

 こっそりマリンが声をかける。
 そっと振り返り、少女の心配そうな視線の先へ目をやると、ティファが物憂げな表情で手を動かしていた。
 その姿に、客たちがうっとりと視線を注いでいる。
 デンゼルの目にもティファのその姿は、普段の明るさとはまた違った魅力で目を引き寄せられるものがあった。
 これが、『女の艶』であるとまだ幼い少年には分からないが、それでも軽くドキッとしてしまう。

「へぇ、ティファちゃんも色っぽい顔するようになっちゃって」

 不意に女の声が鼓膜を打ち、デンゼルとマリンは文字通りビクッと肩を揺らして振り返った。
 2人用のテーブルに1人で着いている中年の女性が、タバコの煙をくゆらせながら悠然と笑っている。
 中々に様になるその姿は、ティファとはまた違った意味で魅力的だった。

「ふふ、気になるのかい?」

 自分を見つめる幼子2人に女性は微笑むとタバコを灰皿に置くとカクテルを一口口に運んだ。
 そうして、黙ったままどう答えたら良いのか悩んでいるデンゼルとマリンを頬杖をつきつつ眺めやる。
 口元には面白がる笑みが浮かんでいた。

「ティファちゃんも女だ。男が絡んだらああいう顔にもなる」
 アンタたちにはまだ早いだろうけどね。

 そう付け加え、また灰皿に置いたタバコを口元に運んだ。
 一息煙を吸い込み、美味そうに吐き出す。

「心配ないよ…と、言いたいところだけど、ちょっとだけ良くない方に転がってるみたいだね」

 子供たちから視線を外し、カウンターの中のティファへ目をやる。
 デンゼルとマリンはギクリ…と身を強張らせた。
 視界の端に子供たちの様子を捉えた女は、頬杖をついたままジッとティファを見つめる。

「相手を想えば想うほど…、好きになればなるほど…、それに伴って周りが見えなくなっていくのさ。丁度あの娘はそういう状態になってる。その証拠に、自分が今、何をしているのか分かってない」
「……なにって…、料理作ってるけど…」
「うん、別に失敗してないよ…?お客さんも美味しいって言ってくれてるし…」

 女の言葉にデンゼルとマリンはおずおずと反論する。
 なんとなく女の言葉からティファを擁護したくなったのだ。
 しかし、女はクック…と喉の奥で笑うと「そうじゃないんだよ」とデンゼルたちの方へ視線を戻す。
 子供相手だとバカにしているわけでもなく、適当にあしらおうという雰囲気もない。
 接客が気になりながらも、女の言葉の続きを待つ。
 彼女は焦らしたりしなかった。

「ティファちゃんはね、今は『店主』としてこの店にいるはずなんだ。それなのに、『店主』という仕事を忘れて『1人の女』になっちまってる。それじゃあダメなんだよ、店を営むならね」

 女の言わんとしていることが完璧に分かった…とは言わない。
 しかし、デンゼルとマリンはなんとなくだけ理解出来た気がした。
 確かに、今までのティファなら店でああいう顔はしなかった。
 クラウドが家出をしている時ですら、客の前では明るく笑顔を絶やさなかった。

「なんにしろ、こればっかりはね。周りが言ってもあんまり本人には伝わらないもんなんだ。少しくらい抜け出すための…、成長するためのヒントになるかもしれないけれど、本当に小さな小さなきっかけにしかならない。結局は、本人たち次第なのさ、男と女の関係は…ね」
 アンタたちもいずれ分かるようになるさ。

 そう言うと、女は短くなったタバコを灰皿に押し付け、カクテルを口に運んだ。
 デンゼルとマリンは顔を見合わせ、今聞いたことを頭の中で反芻させた。
 やはりよく分からない。
 分からないが、彼女の言ったことは本当のことだ、と妙に納得もしていた。
 所詮、自分たちはまだまだ小さい子供で、ティファの悩みを完全に分かってやることは出来ない。
 そして、分かることはと言えば、ティファは大人でクラウドが大好きだから悩んでいる。
 なら、その悩みを取る方法は…。

「…どうしたら良いんだろうな…」
「…うん…」
「とりあえず…」
「……うん、そうだね」

 女に小さく頭を下げて仕事に戻りながら、デンゼルとマリンは頷きあった。
 そして、マリンはそっと居住区へ続く奥のドアへ身を滑り込ませた。

 少しして店内に戻ってきたマリンに、デンゼルは料理を運びながら視線だけで具合を問う。
 ニッコリ笑ったマリンにホッと表情を緩ませると、デンゼルは足取りも軽く料理を待つ客の許へと向かった。
 あと少しでティファに笑顔を与えてくれる人が帰ってくる。
 そう思うと気持ちも弾むというものだ。

 早く…早く。

 マリンも店の時計に目を走らせた。
 電話の向こうでクラウドはすぐ近くにまで帰ってきていると言っていた。
 もう5分ほどで着くだろう。
 本当ならティファに教えて元気づけたかったが、そんなことをしなくてもすぐにその時はやって来る。
 なら、サプライズとしてもう少しだけ我慢してもらっても罰は当たらないだろう。
 そう思った。

 ほどなくして店のドアベルが軽やかに鳴る。
 バイクの音はしなかったが、店の営業時間帯にフェンリルに乗って帰宅することは滅多にないため、デンゼルとマリンはなんの疑問もなくパッとドアを振り返った。
 そして、そこに立っているはずのクラウドに向かって、

「「おかえりなさい!!」」

 そう言って…。


 硬直した。


 *


 ティファは子供たちの弾んだ声に瞬時に期待で胸をいっぱいにして顔を上げた。
 自然、浮かんでいた笑顔はだがしかし、クラウドの後ろに立っていた例の女性客の存在によってかき消された。
 デンゼルとマリンも驚き固まっている。
 クラウドただ1人が、いつもと同じように帰宅したときに見せるホッとした顔で薄っすら微笑んだ。

「ただいま」

 低くしっとりした声が子供たちを我に戻す。

「あ、お、おかえり…」
「おかえり、クラウド」

 ぎこちなく応えるデンゼルとマリンに、クラウドは軽く首を傾げた。
 どうした?と訊ねながら2人に近づくとそのまま軽々と2人同時に抱き上げる。
 男性にしては華奢な体躯のクラウドがいとも簡単に子供2人を抱き上げた姿に、後ろで控えていた例の女性がうっとりと見つめた。

 デンゼルとマリンの表情が強張る。

「2人とも、何かあったのか?」

 心配そうに眉をひそめ、交互に見つめてくるクラウドに、だがしかし、デンゼルとマリンはなんでもない、と首を横に振ることしか出来なかった。
 背後にいるはずのティファをチラッと振り返りたい気持ちでいっぱいだったが、怖くて出来ない。

「なんでもないよ、クラウド」「うん、なんでもないの。おかえり、早かったね」

 ぎこちなかったかもしれないが、精一杯の笑顔を見せるとクラウドはようやっと心配そうに寄せた眉を開いた。
 元々、コスタからこっちへ帰ってくる便での配達があまりなかったのに一件キャンセルになったのだ…と答え、デンゼルとマリンの額にそれぞれただいまのキスを落とし、そっと床へ下ろす。
 クラウドにすると、別にそれはなんでもないやり取りだったが、しかしマリンにとってはそうではなかった。

「え?配達、一件キャンセルになったの?」

 可愛い眉を不機嫌に寄せ、不満いっぱいの顔でクラウドを見上げる。
 クラウドは面食らって目を瞬き、カウンターにいるティファへ向かおうとした足を引っ込めた。
 一方、デンゼルはデンゼルでクラウドに少しだけ不満を感じたものの、マリンのように口に出すほどではなかったので妹的少女の態度に逆にオロオロとした。
 とりなすべきなのか、そのまま見守るべきなのか判断に迷っている間にマリンが口を開く。

「クラウド、この前もティファが言ったじゃない。早く帰れるなら連絡頂戴って」

 驚いていたクラウドがその表情に『しまった…』と焦りの色を浮かべる。
 クラウドの後ろに控えていた女性客もまた、マリンの言葉にほんの少し、申し訳なさそうな顔をした。
 しかし、クラウドしか見ていなかったマリンは彼女その表情の変化に気づかない。
 気づかないままクラウドを詰る。

「そりゃ、いちいち連絡するなんて子供っぽいかもだけど、クラウドの晩御飯の準備のタイミングとかティファには色々あるんだよ?それでなくってもお店しながらで大変なのに」
「そ、そうだな…すまない」
「もう、謝るならティファに謝って!」

 両手を腰に当てて怒るマリンに、クラウドは途端、自分の思い至らなさに気づいた。
 確かに、店をしながら自分の夕飯や風呂の準備に心砕いてくれるティファへの思いやりが足りなかった…。
 素直に反省の意を口にすると、本来謝るべき相手に謝れ、と即返ってきて周りの客から忍び笑いが漏れた。
 気恥ずかしい思いをしながらも、その笑いに悪意が込められていなかったため、特にそれ以上の気まずさを感じずティファへ顔を向ける。

 そうして、ティファ、と呼びかけて、いつもと違って表情の乏しい彼女へ一言、ごめん、と告げようとしたとき…。

「ごめんなさい、私が長い間引き止めちゃったんです」

 女性客がクラウドの前に身を割り込ませ、ペコリ…と頭を下げた。


 *


 え…?


 ティファは表情にこそ出さなかったが、目の前で頭を下げる女性に酷く驚いた。
 いや、単に驚いた…という言葉では生ぬるいほどの衝撃を受け、思考が停止する。


 なんでアナタが謝るの?


 彼女が言った言葉の意味を理解する前に、クラウドの代わりに頭を下げた彼女の意図が分からず混乱する。
 まるで、クラウドを怒るなら自分も怒ってくれ、と言わんばかりの態度に酷くうろたえる。
 そればかりではなく、頭を下げる彼女に慌ててその肩に手を置き、
「アンタが謝る必要なんかない」
 と、彼女を庇うように頭を上げさせたクラウドにこそショックを受けた。


 なんで…?
 なんでクラウド、その人を庇うの?



「ティファ、ごめん、俺が悪いんだ」
「違います。私がクラウドさんに声をかけちゃったから」
「いや、違う。つい話が弾んで気を回せなかった俺が悪い」
「クラウドさん」
「ごめん、ティファ。悪かった」

 食い下がる彼女を背に庇うようにして立ったクラウドが、そのままティファへ足を向ける。
 目の前に来て謝ったクラウドにティファは何も返せなかった。
 頭の中は真っ白で何も考えられない。
 対して胸の中はぐちゃぐちゃだ。
 わけも分からず叫びたくて、泣きたくて、悔しくて、悲しくて仕方ない。
 だって、あの無愛想で無口で、どこをどうとっても『他人と話を弾ませる』ことなど出来そうにないクラウドが、話を弾ませて気が回らなかった…と言ったのだ。
 それが、どれだけの強い衝撃をティファに与えたことか。
 子供たちにもティファの受けた強い衝撃を理解することは不可能だった。

 客たちの無責任に面白がる声が、うわんうわん、と遠くで聞こえる。

「ティファちゃん、まぁ許してやれよ」
「謝ってるしさ〜」
「それに、やっぱ旦那も男だしな」
「そうそう!こんな可愛い子に声かけられたら、そりゃ時間も忘れるって」

 ケラケラ笑う客たちにクラウドが無言のまま鋭く睨みつけて黙らせたが、ティファの目には一枚のガラスを挟んだ向こう側の出来事のようにしか見えない。
 指先からスーッと熱がなくなり、酷く冷たくなっていく感覚がする。
 それに伴い、指先が微かに震えてくる。

「ティファ…?その……怒ってる……のか?」

 何も言わないティファに、客を睨みつけた鋭さから一変、クラウドは不安で顔を曇らせ伺い見た。
 そして、そっと手を伸ばして硬直したまま動かないティファの頬に触れる。
 途端、ピクリ…とティファが身じろぐ。
 忘れていた呼吸を思い出したかのように、急速にその瞳に色が戻った。

「……あ……うん…」

 ようやっと発したティファの声は微かに掠れ、震えていた。
 クラウドはホッと安堵の息をついたが、それにしても…と訝しんだ。
 そんなに気にすることなのだろうか、と疑問に感じる。
 しかし、その疑問は勿論口にしない。
 いくら空気が読めないと言われている男であっても、それが地雷を踏むどころの騒ぎではないことくらい察しているし、やはり自分の方にこそ非があるのだ、と自覚しているのだから…。
 だから、ティファのお小言も甘んじて受けようと覚悟を決めるのも早かった。
 それなのに。

「ティファさん、本当にごめんなさい」

 クラウド1人に責任を負わせるのは彼女には承服しかねることだったらしい。
 身を割り込ませ、クラウドの片腕にそっと擦り寄るようにして立つと、ティファへ再び頭を下げた。

「だって、ずっとクラウドさんとお話ししたい、って思ってたから、今日偶然、外で会って、びっくりして舞い上がっちゃって…。ついつい長く引き止めてしまったんです!本当にごめんなさい!!まさか、そんなにティファさんが心配するなんて思わなかったし」

 早口で一方的に話す彼女に、クラウドもティファも口を挟めなかった。
 周りで酒の入った客が可笑しそうにはやし立てるだけだ。
 デンゼルとマリンもこの事態にどうして良いのか分からない。
 いつもなら、ティファに擦り寄ろうとしている男性客が相手なので、その対処ばかりが上手になっていった。
 女相手でクラウド目当ての場合は…勝手が違う。
 オロオロと顔を見合わせながら隙を伺うばかりだ。
 だが、ティファにはそんな子供たちの姿も、はやし立てる客たちの声も、笑い顔もなにも映らず、聞こえなくなっていた。


 触らないで…。


「ティファ…?その…ほんと、ごめん……な?」
「あの、ティファさん、本当にごめんなさい…?」


 触らないで。


「ティファ?」
「ティファさん…?ねぇ、でもそんなに遅くなってないですよね?だってまだ19時半だし…」


 まるで当然のように、クラウドに触らないで!


「ねぇ、ティファさん、なにか言って下さい。そりゃ、悪かった…って思いますけど、そこまで怒らなくても…」
「いや、ちょっとアンタ、黙ってくれないか?」
「でもクラウドさん。クラウドさんは小さい子供じゃないんですよ?お仕事がいつもよりも少し早く終わったことを連絡しなかったくらいでこんなに怒るだなんて、ちょっとおかしくないですか?」
「いや、だから頼むから黙ってくれ」
「こんなのおかしいです!だって、こんなちょっとしたことでここまで怒るなんて…。これじゃあまるでクラウドさんはティファさんの所有物みたいじゃないですか。こんなに束縛するなんて間違ってます!だって、結婚もしてないのに!」


 誰が誰の所有物!?
 誰が束縛してるですって!?

 結婚もしてないってそれが一体なんだっていうの!?
 アンタになんの関係が有るのよ、私を悪者にしてクラウドを庇うような真似しないで!



 女性客の最後の言葉にティファの双眸が、カッ!と見開かれる。
 ジェノバ戦役の英雄が殺気を込めてその眼光を放った瞬間…!


「うわっ!」「キャッ!!」


 短い悲鳴が上がり、騒ぎの渦中にいた3人に水がぶっ掛けられた。
 短い悲鳴はクラウドと女性客のもの。
 ティファは放心状態で目を見開き、中年の女客をそのとき初めて見た。
 不機嫌そうに女は片手を腰に当て、空になったグラスを傍のテーブルに乱暴に置くと真っ直ぐティファを睨みつけた。

「アンタ、どこまで無様な姿でそこに立ってるつもりだい?」

 途端、上がった非難の声は面白おかしくはやし立てていた客の中でもティファを気にっていた男性客たちからだ。
 しかし、女は「お黙り!」と一喝するとそれらを一瞬で黙らせた。
 ティファやクラウドとはまた違う覇気に完全に気圧される。

「アンタ、曲がりなりにも『店主』として『カウンター』に立つなら、いつまでも『女』の顔してグダグダしてんじゃないよ!」

 そうして、ティファを怒鳴りつけると女は財布からギルを取り出し、テーブルへ乱暴に置いた。
 背を向けて足音も荒く、ドアに向かう。


「次来たとき、まだそんなフザケた態度でそこにいたら、承知しないよ!?」


 荒々しくドアが閉められ、悲鳴を上げるようにドアベルが鳴り響いた。
 ティファは彼女の後姿の残影を見るかのようにいつまでも閉じたドアを見つめていた。