渇望   

 

扉が閉まると男はカウンターに寄りかかり、ティファをじっと見据えた。

いつも口数が少なく、賑やかな声の飛び交う市場で働くにしては大人しい人だと思っていたが、特に異様な感じは受けなかった青年。

だが今、ティファを見つめるその瞳は暗く、僅かな狂気が滲み出ている。

ティファは男が口を開くのを待っていた。

恐怖は無い。だが、どう接すればいいのかも分からなかった。

とにかく、クラウドが来るまで男を引き止めておかなくてはならない。

唐突に男が口を開いた。

「俺、あんたが好きなんだ。たぶん俺の母親に似てるから」

「………」

「そっくりだよ、目の色とか、髪の色…俺を捨てた憎い母親に」

母親に…捨てられた?

何処まで本当なのだろうか。

ティファはじっと男のうつろな目を見返したが、真偽の程は測りかねた。

「俺を捨てる前は、あんたみたいに優しくて、俺を可愛がってくれたよ。あんたがデンゼルを見るような優しい眼差しで」

「…デンゼルと自分を重ねたのね。だから、あの子に近づいたの?」

喉が渇いて、声が掠れた。

「………」

男がふと視線を逸らし、ぼんやりと宙を見つめた。

再びティファの顔に戻した男の目には、先程よりも色濃い影が差していた。

男の口調が、まるで幼い子供のように変わった。

「ああ、そう、そうなんだよ。もしデンゼルがいなくなったら…代わりに僕を可愛がってくれるよね?」

「……!」

やっぱりデンゼルを…手にかけるつもりだったの?

ティファはきっと男を睨みつけた。

「デンゼルに…危害を加えるような人を、私が許すと思うの?」

震えるティファの声に、男は薄笑みの乗った唇をますます歪めてくくっと笑った。

「僕が代わりになるよ。ずっといい子で待ってたんだよ?迎えに来れなかったのは、デンゼルがいるからでしょう?

それに、もう一人、女の子も、それから、あの男も。みんな、いなくなれば、また一緒に暮らせるんだよね?お母さん?」

もはや普通の会話が成り立つ相手では無いと痛感して、ティファは絶句した。

男の境遇に対する憐憫の情が僅かに芽生える一方で、デンゼルの感じた得体の知れない恐怖を、ティファもまた全身に感じていた。

 

早く来て、クラウド。

 

心の声に答えるように店のドアが勢い良く開かれ、息を弾ませたクラウドが飛び込んできた。

 

店の奥―カウンターの前に立っている男とクラウドの視線がかち合う。

男はさして驚きも怯みもせず、忌々しそうに眉を潜めただけだった。

クラウドはティファを背にかばうように二人の間に立つと、正面から男を睨みつけた。

目の前に立ちふさがった広い背中に思わず縋りつきたくなるのを、ティファはぐっとこらえた。

クラウドの険しく鋭い眼光にも男は臆することなく口を開いた。

「あんた、邪魔なんだよ。何であんたみたいなヤツが彼女と一緒にいるんだよ?」

さっきまでの幼い子供のような口調は、歳相応の挑戦的なものにまた変化していた。

「あんたさ、一見自信満々な男に見えるけど本当は違うよね。俺には分かってる。本当は自信なんて無いんだ。

こんな自分で彼女は満足なのかって思ってるだろ?そんなあんたが彼女を幸せになんて出来るわけがない。自分でもわかってるくせに」

笑みを浮かべながら捲くし立てた男の言葉を完全に無視して、クラウドは低い声で言った。

「…それで、お前は何をどうしたいんだ」

男は一瞬目を見開き、「何を今更!」 と呆れたように首を傾げた。

それにも取り合わず、クラウドは続ける。

「ティファはお前の母親じゃないし、なる気もない」

母親じゃない――

その一言に男は薄笑みを消して頬を引きつらせた。

俯いて肩を震わせながら、作業服のポケットから何かを取り出した。

それが小さなジャックナイフだと気付いて、ティファは息を呑んだ。

パチン、と乾いた音がして銀色の刃が光った。

「…どけよ。邪魔だって言ってるだろう。本当は俺を迎えに来たいのに…お前らが、邪魔をするから…!」

早足で向かって来た男が、頭上に構えたナイフをクラウドの首の辺りに振り下ろす。

クラウドはナイフの刃を避けようとはせず、左の手のひらで受け止めた。

「クラウド…!!」 ティファが思わず叫んだ。

皮のグローブが裂け一筋の血が腕を伝うのも構わず、クラウドは受け止めた刃を握りしめ右手で男の手首を掴んだ。

ギリギリと締め上げると男の顔が苦痛に歪む。

ナイフはいとも簡単に男の手から離れ、床に落ちた。

掴んだ手首を捻って背中に回り込み腕をねじ上げると、左腕で男の首をがっちりと押さえ込み動きを封じる。

「ぐ…っ…くそっ…はな…せ!!」

背中につけられた腕を更にねじ上げられて、男は悲鳴を上げた。

男の耳元で、クラウドが言った。

「覚えておけ。ティファに…子供たちに手を出したら…お前を生かしてはおかない」

もがいていた男の動きが止まり、力の抜けた腕をだらりと垂らした。

男の余裕は完全に打ち砕かれ、絶望と慨嘆を浮かべた瞳を宙に彷徨わせていた。

 

「クラウド!来たよ!」

ドアが開いてデンゼルが飛び込んでくると、数人のWRO隊員がそれに続いて店の中に駆け込んできた。

すっかり力が抜けて床に座り込んだ茫然自失状態の男を顎で示し、クラウドは 「傷害の現行犯だ」 と言って傷付いた左手を掲げた。

「ご苦労様です」

隊員の一人が頷いて、男を拘束した。

両脇をWRO隊員に支えられ立ち上がった男は、のろのろと顔を上げ、クラウドの隣に寄り添うティファに縋るような眼差しを向けた。

「きっと迎えに来るって…約束したのに…」

か細い声でそう呟くと男の目に光っていたものが溢れて頬を伝った。

「さあ、歩くんだ」

隊員に促されて、男は引き摺るように足を踏み出した。

「待って!その人は…」

ティファの上げた声に、隊員が振り返った。

「その人は…あの、正気じゃ…ないの。だから…」

「分かってますよ。大丈夫ですから」

隊員の一人がわずかに微笑んでそう答えた。

 

だから…何を言おうとしたのか、ティファ自身にも分からなかった。

正気じゃなければ何をしても許されるというわけでは決してない。

ただ、憎むべきは彼自身では無いような気がしていた。

そしてきっとその母親でもないのだ。

人の心は 脆い。

その脆さが生んだ罪の 彼もまた犠牲者なのかもしれない。

「ティファ…」

傷付いたクラウドの左手を両手でそっと包み込みながら ひとつぶ零れたティファの涙の意味を

クラウドも理解していた。 

 

 

 

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