激しすぎる感情、『激昂』のままに突っ走ると、その人自身も、その人を愛している人をも破滅させてしまう。 だから…。 どこにいても駆けつけてみせよう。 どんな時でも、どんな場所でも。 激昂 5「うわっ!!」 急ブレーキを踏んだワゴン車は、激しくスピンをした挙句、岩肌にぶつかることでようやく止まった。 センシティブ・ネット・ダイブをしていたシェルクを守るように覆いかぶさっていたヴィンセントが顔を上げると同時に、ドアが勝手に開いた。 入ってきたのは、薄茶色の髪、魔晄の瞳を持つ華奢な身体をした少女。 「アイリ!?」 ヴィンセントらしからぬ驚いた声にアイリは全く反応することなく、乗り込んだ直後から迷いのない足取りでツカツカと1人の隊員に近づいた。 あまりの登場の仕方に呆然とする隊員の面々を尻目に、アイリは細い腕を伸ばした。 「ぐえっ!!」 いきなり喉をつかまれ、隊員が蛙のような声を上げた。 アイリの腕を振りほどこうとするが、信じがたいことにびくともしない。 慌てて他の隊員が止めに入ろうとしたが、アイリの奇行の意味に気づいたヴィンセントとシェルクがそれを止める。 自分の周りでバタバタしていることに全く関心がないアイリは、ただ一言。 「愚か者め」 そう言うと、細腕からは信じられないような力でグイッと自分へ引き寄せた。 「そなたにはやってもらうことがある。それまで寝ているが良い」 「ひっ!」 言い終わるや否や、男は白目をむいて失神した。 ドサリ、と車の床に伸びた隊員を見て、他の隊員が目を見開く。 恐怖と混乱が車中を支配したが、その中でヴィンセントとシェルクだけが苦々しい顔でアイリを見ていた。 「コイツが犯人か…」 ヴィンセントの言葉に隊員たちがギョッと目をむいた。 アイリはというと、失神した隊員からはさっさと背を向け運転席に向かっていた。 運転席に座っていた隊員が蒼白になってシートベルトを外そうとしている。 彼のその様子にまったく関心がない態度で、淡々とアイリは言った。 「今すぐ北北東へ向けて走って下さい。そこに小さなロッジがあります。トラックは囮です」 「は、…え?」 めまぐるしく変わる状況についていけず、オタオタとまだシートベルトを触りながら、アイリを恐ろしげに見る。 アイリはまったく容赦しなかった。 冷たい魔晄の目を細め、 「早くなさい」 眼光鋭く低い声音で命令する。 有無を言わさない迫力。 慌てふためいて隊員は車を発進させた。 急発進に車体が軋み、乗っていた人間が転倒しそうになる。 その中、アイリ1人が微動だにせず、まっすぐ立っていた。 「アイリ…、アナタ今まで何してたんです?」 猛スピードで走り出した車にようやく慣れた頃、シェルクが声をかけた。 アイリは真っ直ぐ前を見たまま、 「モンスターと殺人鬼の影で踊るモノたちの掃除を少々」 素っ気無いほどの口調でそう答えた。 「モンスターと殺人鬼って…まさか今回の…?」 ヴィンセントが思わず唸ったが、アイリはそれに答えずただ黙って前をフロントガラスを見つめていた。 * 痛い。 気持ち悪い。 怖い! 自分にのしかかってくる全てのモノに吐き気すら催す嫌悪感で気が狂いそうになる。 両手は縛られたまま、両足も手錠で枷がされている。 その状態で、男3人に押さえ込まれたらひとたまりもない。 それでも、全身全霊を込めて暴れまくる。 「往生際が悪い子ね〜、諦めた方がラクなのに〜」 自分を拉致した男が嘲笑を含みつつも呆れながらそう言うくらい、ラナは暴れて必死の抵抗を続けていた。 左頬が酷く腫れているのは、頬を無遠慮に触られた無頼漢の手に思い切り噛み付いたからだ。 ラナの身体の痛みは頬だけではない。 後ろで両手を拘束されているせいで肩の付け根から強く痛んでいた。 手錠が両足首に食い込んで皮膚を傷つけ、血が滲んでいる。 それでも抵抗をやめない往生際の悪さに男たちは最初、歪んだ愉悦を味わっていたようだが、今ではすっかり頭に血が上っている。 何度か頬や腹、背に殴打や蹴りを受け、身体は悲鳴を上げていた。 それでもラナは諦めなかった。 冗談じゃない! 1人の狂人にこんな目に遭わされて大人しくそれを受け入れられるわけがない。 だが、とうとう男の手が伸びてラナの髪を引っつかみ、床に叩きつけるようにして押さえ込む。 強かに右顔面を打ちつけ、痛みのあまり失神しそうになった。 こんな最低な下衆共に歯が立たない悔しさと、それを上回る恐怖に涙が視界を揺らす。 一瞬意識が遠のいたせいで抵抗の手が止まった。 その隙を下衆共は見逃さなかった。 ゾッとする音を立ててドレスが引き裂かれる。 同時に足と肩を思い切り押さえつけられ、完全に身動きが取れなくなった。 「あ…!」 あまりの恐怖にとうとうそれまで堪えていた声が洩れる。 そうなると、もうダメだった。 無頼漢共が下卑た笑いを上げながらラナの身体に触れ、賞賛の言葉を吐き出しているが何も聞こえない。 嘔吐しそうなほどの嫌悪感が、這い回る手によって加速される。 がさついた手が無遠慮に這いずり回る感覚が否応なしにラナの神経を蝕んだ。 それが、美術匠の注射のせいだとは気づかない。 おぞましすぎる感覚に、ラナは2年前の出来事を思い出した。 賑わう市場が突如、大量殺人の場へ激変したあの事件。(*WRO隊員) 目の前で倒れる一般市民。 助けられなかった尊い命。 そして。 生意気な年下上司へ助けを求めたメール。 直後に武装グループに掴まって殴打され、純潔を穢されそうになった、あの刹那…。 あの時はそれでも、絶対に助けてくれると信じていた。 だけど、今は違う。 こんな辺鄙なところで幽閉されているなど、彼は知らない。 助けには…こない。 気も狂わんばかりに悲鳴を上げたラナに、下衆共はドス黒い欲望を掻き立てられた。 口を歪めて卑猥な笑みを浮かべて群がる様は、美しい雌鹿に牙を剥くハイエナのようだ。 激しく首を振ることしか抵抗する術がない。 かろうじて残っていた理性がラナに囁きかけたのはこの時だった。 こんなところで陵辱されるくらいなら…いっそ…。 ドクリ。 心臓が大きく音を立てたのをラナは聞いた。 もう時間がない。 男たちが足の手錠を解く気配がする。 それが終わったら?自分はどうなる? …そんなの、分かりきっている! なら、どうする? 迷ってなんかいられるはずがない!! 一瞬で決めた決意。 美術匠が恍惚とした笑みを浮かべていたが、それも目に入らない。 ラナが見ていたのは…たった1人だけ。 (どうせなら…ちゃんとアイシテルって言えば良かった) 照れてないで…、ちゃんと伝えていれば良かった…! 後悔は刹那。 とうとう手錠が外され、男たちが足首を掴んだ。 ラナは大きく息を吸い込んで口を開け、ギュッと目を瞑ると己の舌を噛んだ。 美術匠が驚きのあまり目を剥いた。 突如、大地が突き上げる大きな衝撃が小屋を襲い、その場の全員が驚愕と恐怖の悲鳴を上げた。 「地震か!?」と、誰かが叫ぶ。 しかし、衝撃は1度だけ。 ガタガタとテーブルの上でカップや皿が踊り、そのまま床に落下し砕けた頃にはすっかり落ち着いていた。 その一瞬の出来事に気を取られていた美術匠だったが、すぐに我に返ると男たちに押さえつけられているラナに駆け寄った。 そして、その顔を覗き込み怒りに眦を吊り上げた。 「この女(アマ)!舌、噛もうとしやがった!」 ハッと男たちがラナの顔を見た時、部屋のドアが突如、内側へ吹き飛んだ。 爆発的なその音に男たちはギョッと立ち上がった。 吹き飛んできたドアは、誰かが蹴破って突入してきたからだと分かった頃にはもう、その人は部屋の中央で体勢を整え仁王立ちに立っていた。 漆黒の瞳が焦燥感も露わに男たちの上を走り、美術匠の顔を素通りし…。 床に倒れているラナで…止まった。 濡れたダークグレーの瞳と、驚愕に見開かれた漆黒の瞳がカチリ、と重なる。 「……あ…」 震えるラナの声が耳に飛び込んできた瞬間、シュリは爆発した。 目に見えない衝撃によって、その部屋で床に倒れていたラナ以外、全員が壁に吹き飛んだ。 激しく巻き起こる暴風は間違いなくシュリを『目』としていた。 部屋の中で突如現れた大型台風に、誰もなす術がない。 窓ガラスは全て吹き飛び、窓枠も根元から音を立てて今、まさに外へ向かって吹き飛ぼうとしていた。 それだけでなく、天井、壁、ドアもミシミシという恐ろしい音を立てて少しずつ瓦解しようとしている。 それらの大異変は、全てほんの数秒の出来事。 男たちが壁に向かって吹き飛ばされ、床に叩きつけられて顔を上げるまでのほんの短い間の出来事だった。 一番最初に顔を起こしかけた男は、目を開けていられないほどの暴風に腕で顔を庇いながら薄目を開けた。 霞む視界に、黒いブーツが見えて全身の血の気がザーッと引いたのを感じたのも一瞬。 瞬きする間などなく顎に激痛を感じ、衝撃で身体が一瞬浮き上がった。 ほんのカケラほど残っていた冷静な頭で自分が蹴り上げられたのだと理解しかけたが、ついにそれを認め終わることなどなく、次の瞬間には顔面に強すぎる衝撃を受けて昏倒した。 男の顔から吹き上がった鮮血が暴風によって霞みのように巻き上げられ、辺りを薄っすらと赤く染める。 「ひっ!」 短い悲鳴を上げたのは誰だったか。 顔を激しく変形させ、目尻と鼻、耳から血を噴き出した仲間に男たちは恐怖のあまり逃げ出した。 いや、逃げ出そうとして暴風と床や宙で踊っている部屋の物品に阻まれ転げまわる。 シュリの目が次の獲物を求めてギラリ、と光った。 耳障りな引き攣った悲鳴を上げつつ壊れたドアへ向かっていた男に狙いを定めると、助走もつけずに跳躍し、その背中に圧死するほどの衝撃を与えた。 文字通り、圧死してしまうほどの力で踏みつけられ、男の背骨が複数回音を立てて折れる。 悲鳴は上がらなかった。 激痛に、息を大きく吐き出しただけで男は失神してしまったのだ。 男2人を昏倒させるのに、ものの10秒もかからなかった。 * ラナは暴風と男たちの暴行による激痛で霞む目を懸命に凝らしていた。 何が起こっているのか分からない。 いや、分からないのではなく、信じられないのだ。 シュリの動きが早すぎることも信じられない要因の1つだが、彼がこの暴風を巻き起こしていることも、男たちを神がかった力でなぎ倒すのも…全てが信じられない。 あれは本当にシュリなのか? いつも、クールでちょっとしたことでは動じないWROが誇る最年少の大佐。 この星を守護する一族の生まれ変わり。 凛とした漆黒の瞳は一見冷たげに輝いているのに、本当はとても愛情深い色を持っていて、その瞳に自分が映るたび、言いようのない幸福感に包まれる…。 それなのに、今、目の前にいるシュリの目は…。 ギラギラと獰猛な色を湛え、赤黒く輝いている。 「やめろ、シュリ!」 シュリが現れた直後に同じくどうやってここまで来たのか、プライアデスがラナを抱きかかえて守るようにしながら必死に叫んでいた。 プライアデスに抱きかかえられていなければ、第二波の衝撃で彼女はテーブルに激突され、下手をしたら死んでいただろう。 自分の隊服をラナの身体に巻きつけてシュリに呼びかける。 そのプライアデスの隣で、顔を庇いながらクラウドが両目を細めてバスターソードを構えていた。 シュリを制するため…というよりは、飛び交う椅子や食器からプライアデスやラナを守るためだ。 「ちょっと、どうなってるのさ!」 飛んできた皿を間一髪で避けながらナナキが叫んだ。 叫ばないと風の音でかき消されてしまう。 それには答えないで、プライアデスが乱暴にラナの身体をクラウドへ押し付けた。 「すいません、ちょっとお願いします」 「おいっ、ちょっと待て!」 慌ててバスターソードを床に突き刺し、彼女を受け取ろうとしたクラウドだったが、高速で飛んできたツボにギョッと目を見開いて、ラナごとプライアデスを突き飛ばした。 バランスを崩して仰け反ったプライアデスの鼻先をツボが高速で横切り、クラウドの頬を掠めて壁にぶつかり砕け散った。 ゾッと振り返ったクラウドたちの目に、派手な格好をした男へシュリが剣を振りかざしている姿が飛び込んだ。 完全に正気を失っているどす赤黒い目。 激昂のあまりギラギラと両眼を赤黒く光らせたシュリには、命の尊さを重んじる彼の姿はカケラもない。 ラナを抱きかかえたままプライアデスが叫ぶ。 クラウドとナナキが駆け出す。 男が恐怖に引き攣り口を大きく開け、振り下ろされる剣を凝視する。 全てがスローモーションで、全てが間に合わなかった。 ギーーーンッ!! 鈍く重い金属のぶつかり合う音。 ギチギチギチギチ、と力と力のぶつかり合いが剣の歯から音を立てて磨耗させる。 信じがたいことに派手な男の鼻先で凶刃が受け止められていた。 殺人鬼を救ったその少女は、華奢な腕からは想像も出来ない力で、WRO大佐の剣を受け止めていた。 その事実がシュリの怒りに油を注ぐ。 赤黒い瞳をギラギラ光らせ、シュリが呻くように低く言った。 「どけ」 「どきません」 「どけ!!」 「どくはずないでしょう?」 魂までも凍りつかせるほどの怒りに満ちたその声、その言葉をアイリは涼やかな顔で流した。 そして、そのままググッと力を込めると思い切り兄を突き飛ばす。 僅か半歩、シュリが仰け反った。 同時に暴風が止む。 すかさずアイリは半歩分を鋭く詰め、剣を横に払った。 それをシュリは剣の腹で受け止めると反撃に転じる。 アイリはまともにそれを受け止めると、逆手にとって剣をグルリと1回転させ、シュリの剣を絡め取るようにして自分の剣もろとも弾き飛ばした。 豪速で飛ぶ二本の剣が壊れた窓の遥か向こうへ消えていった…。 「アイリ、お前!!」 カッ!と怒りに目を見開いたシュリの瞳が、また一段と赤黒く染まる。 それは…闇の色。 再び、先ほどよりもうんと強い暴風が部屋を襲った。 アイリに間一髪、命を救われた男が短く悲鳴を上げ、後ずさろうとするが完全に腰が抜けているために無様な姿を晒している。 ラナへ陵辱の手を伸ばしていた最後の1人も、飛んできた部屋の家具などで怪我をし、額や鼻から血を流していた。 押さえている口元からも赤い泡がこぼれている。 必死になって頭を低くし、這いずるようにしてこの恐ろしい小屋から逃げようとしているが、一番最初の衝撃波で吹き飛ばされたときに足を挫いてしまい、思うように身動きが取れない。 クラウドはそれに気づいていたが、それどころではなかった。 目の前では夢にも思わなかった兄妹対決が展開されているし、なにより先ほどから恐ろしい音が聞こえていたのだ。 天井が限界を訴え、小屋全体が大きく軋んでいる。 このままだと全員、生き埋めだ。 「シュリ!よせ!!」 床に縫い付けていたバスターソードを抜き取りながら大声で叫ぶ。 だが、いつもの青年とはまるで違う。 怒りに駆られたシュリは、最愛の妹までをも『敵』とみなし、恐ろしい形相で睨みつけていた。 今にも素手で殴り殺してしまいそうだ。 ナナキが悲鳴のようにシュリの名を呼びながら駆けつけようと一歩を踏み出した。 プライアデスが腕の中のラナによって自由に動けず、焦燥感も露わに従兄弟を止めようと怒鳴り声を上げる。 クラウドが、『危急時、やむなし!』と、シュリに斬りかかろうとした。 その僅か半瞬早くシュリが動いた。 サッと腰を屈め、攻撃態勢を取る。 「邪魔するな!!」 怒号と共に、アイリ目掛けて拳を振り上げた。 |